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北米大陸9700km[1]

1982年5月29日に日本を離れて米国ロサンゼルス空港に到着し、同年10月23日にニューヨークJFK空港を発つまで、約5ヵ月かけてアメリカとカナダを行き来しながら、北米大陸を横断しました。実走距離は9700kmです。自動車で移動する最短距離が約4500kmのようですから、その2倍以上走ったことになります。

北米大陸9700km[1]:ロサンゼルスへ

ソウル発の旅客機は、成田を発つと給油のためにホノルル空港でトランジットです。入国審査は思いのほか厳しく感じられましたが、ハワイの暖かい空気は初めてのフライトに少々緊張ぎみの私をほぐしてくれました。

ロスの空港には、知人の社長さんに紹介された駐在員のAさんが待っていてくれました。Aさんは奥さんを日本に残して単身赴任、私より年上の30代半ばです。お互い挨拶を交わし、輪行袋と荷物を後部座席へ運び込みAさんの自宅へ向かいました。

「H君のことは社長から聞いているよ。自転車でアメリカ旅行だってね。すごいねぇ」 「いや、前から考えてはいたんですけど、いまがチャンスかなと思って」 「そう。まあ準備とかあるんだろうから、その間、俺の家でゆっくりするといい。一人だから気にすることないよ」

「ありがとうございます。折角のロスだからディズニーランドにも行こうと思っています。あと、こちらの印刷やデザインの現場も見てみたいんですけど、いいですかね?」 「いいよ。でも日本と一緒だと思うよ。ただきょうから3連休だから、来週連れて行くよ」 「無理言ってすいません。お願いします」

Aさんの自宅は、空港から数キロのロス郊外ランダウェルという住宅街にあり、私のために一部屋用意してくれていました。長いフライトの疲れでしょうか、その夜はぐっすりと眠りました。

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北米を旅行中、この手帳に日々のできごとや感じたことを短かく記録していた。いま、この手帳を読むと、当時の光景がきのうのことのようによみがえる。

北米大陸9700km[2]:ロスの休日

ロスに着いて2日目の5月31日(月)はメモリアルデーで休日でした。本来の5月30日をハッピーサンデー制により5月の最終月曜日に、つまり連休にするという、いかにもアメリカらしい考え方です。

  1. レドンドビーチで海釣り

この日は昼から、Aさんに誘われてAさんの知人と私の3人で海釣りに。車で20分も行けばもう太平洋です。サンタモニカの南、レドンドビーチにボートを浮かべて釣り始めました。私は、竿とリールを日本から持参していました。自転車だけではなく「たまには釣糸でも垂れてみるか」そんな気持ちからです。

身長にも満たない短い竿と手のひらに乗るぐらい小さいリールでしたが、最初のヒットで60㎝ほどのバラクーダ(かます)を釣り上げました。Aさんたちはボニート(かつお)を3匹。4匹で十分だということで、知人宅に戻り、ご近所の日系の方も加わり刺身と焼き魚でパーティーが始まりました。2世・3世の方が多く、英語の中にときどき日本語が混ざる会話は何か不思議な感じがしました。

  1. 自転車でディズニーランドへ
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翌日はディズニーランドへ。往復100㎞ほどの行程ですが、テスト走行のつもりでした。実は<取扱注意>の輪行袋が何らかのトラブルで、ハンドルの右部分が内側に少し曲がっていました。100㎞の距離を違和感なく、ストレスなく走れるかの試走です。何とか行けるだろう、だめなら途中で取り替えよう、それが結論でした。

いきなりの慣れない右側通行、角を曲がるタイミングで2度ほど左車線へ出そうになりましたが、それでも帰るころにはすっかり慣れていました。ロスのディズニーランドは思っていたほど大きくありません。目についたのは、捨てられたそばからゴミを拾って歩く大勢の清掃スタッフです。そのため園内は非常に綺麗に保たれていました。

北米大陸9700km[3]:サンフランシスコへ(1)

ジェフからの手紙

日本を出発する前にパウラ先生のおにいさんのジェフから、手紙を受け取っていました。文面には、A.Y.H.(アメリカンユースホステル)発行の The American Bicycle Atlas などの資料がユースホステルで手に入ること。ルート案内や旅のサポートしてくれる Bike Centennial という団体がモンタナ州にあること、などが書かれていました。

彼の家に行くコースは、景色がよくてキャンプ場が点在している海岸線のルートがベストであること、等々。中でも私が注目したのは、サンフランシスコからニューヨークまでの大陸横断レースを13日半で走ったと書いてあったことです。最短でも5,000㎞、しかもロッキー超えです。ぜひ本人にその内容を聞いてみたくなりました。

ロス市内のユースホステルで資料を手に入れましたが、なにぶん英語ゆえ、理解には限界がありました。

Aさんの出勤時間にあわせて出発

Aさん宅にやっかいになり1週間。車でのロス市内巡りやお願いした作業現場の見学など好意に甘えっぱなしでした。出発前夜には、

「H君。これシスコに住んでる僕の知り合いのMさんの住所と電話番号。連絡したらウェルカムだって、寄ってみるといいよ」
そう言うとメモを渡してくれました。
「何から何までありがとうございます。ぜひ寄らせてもらいます」

翌朝8時、Aさんの出勤時間にあわせて出発です。
「もし、何かトラブルがあったら、必ず連絡してくれよ。いいね」
「はい。わかりました。じゃ、行きます」

北米大陸9700km[4]:サンフランシスコへ(2)

アメリカン・ハイウェイ

アメリカの幹線道路は南北にはしる道路は奇数、東西は偶数で表記されており解りやすくできています。ハイウェイは U.S. Interstate highways、U.S. highways、State and Provincial highways の3つに大きく分けられます。

ちょっと厄介なのが U.S. ハイウェイで、郊外や地方では自転車の走行は問題ありませんが、都市部では禁止されていることです。私は、ロスからシスコまで海岸線をはしる州ハイウェイ1号線を北上しました。

ジェフの言うように青い海を眺めながら緑の森を抜けて行くルートはナイスチョイスでした。泊まりは安全性や利便性を考え、できるだけキャンプ場を利用するようにしました。

キャンプ場の料金

ハイカーやバイカーのキャンプ場の利用料金は公営・民営ともに、カリフォルニア州で50¢、オレゴン州で1$、そのほか高い所でも2~3$程です。設備はいたってシンブルでトイレにシャワー。

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ただ北米には KOA というキャンプ場のチェーン店があり、料金は5$以上と高いのですが、キャンプ場内にはコンビニや子供用の遊び場などが整い、ホットシャワーが利用できる場合もあります。このような施設を利用しながら、全米をキャンピングカーで旅行しているリタイア後のご夫婦をよく見かけました。

北からの風

ロスを出て3日目、風が強くて前に進みません。荷物が重く感じられます。下り坂でもペダルを漕いでいます。私も薄々気がついていました。ここまで走ってきてすれ違うサイクリストはいても、北上するサイクリストがいないことに。

のちに聞いた話しでは、この時期西海岸では常に北からの弱い季節風が吹いているようで、ほとんどのサイクリストは南下のコースをとるそうです。結局この季節風は、カナダのバンクーバーまで時おり強風となって私を悩ませました。

北米大陸9700km[5]:CHIPs現れる

CHIPs 現れる

サンフランシスコまで150㎞、市街地に入り道に迷ってしまいました。目の前には分離帯のあるハイウェイが走っています。入口に〈自転車禁止〉とは書かれていません。「行けるんじゃないか」と、ハイウェイの路側帯を走り始めました。追い抜いて行く何台もの車から歓声があがっています。

20分ほど走ったでしょうか。うしろからサイレンの音とともにパトカーが。「あっ、やばい。やっちゃったかな」。私を制止するように停車すると、サングラスをした警官が降りてきました。手にはライフル銃が。CHIPs(California Highway Patrol) です。

「自転車はダメだ。ハイウェイを降りなさい。んっ? お前、外国人か」

フロントバッグに縫い付けた〈日の丸〉を指差しながら、私は、
「ええ、日本人旅行者です。シスコに行きたいんだけど道に迷って。このハイウェイは 走れるかなと思って」
「O.K.わかった。このハイウェイはダメだ。とにかく降りるんだ」

「じゃあ、次の出口で降ります」
「ノー。戻って。さっきの出口で降りろ」

パトロール中か、それとも通報でもあったのか、そんなことを考えながら言われたとおり1つ手前の出口まで戻りました。相変わらず車からは歓声が、いや「危ないぞ」の罵声が聞こえています。出口には先ほどの警官が先回りをして確認のために待っていました。ついでにシスコまでの道を教えてもらいました。

私は、出発前にフロントバッグの前面に葉書より一回り小さい〈日の丸〉を縫い付けました。私を日本人、たとえ〈日の丸〉を知らなくても異国人だと分かってもらうため、そして日本人として(?)つまらぬ行動をしないように自制のつもりでもあります。旅が進むにつれ、他人の好意に触れるたびごとにその思いは強くなっていきました。

北米大陸9700km[6]:シスコに滞在

ロスから約750㎞、9日目にシスコに到着しました。Aさんから紹介されたMさん宅にやっかいに。Mさんは自宅から車で10分ほどのダウンタウンでバーガーショップを開業しています。従業員は1人、家事の合間に奥さんも手伝っています。さほど広くないお店ですが、お客が絶えることはありません。

いずれ日本料理店を出す予定だそうですが、本場でのバーガーショップには感心しました。ご夫婦には幼稚園児のAiちゃんという娘さんがいます。最初は自転車でやってきた変なオジサンをいぶかしげに見ていましたが、やがて打ち解けると、二人でふざけ合うほど仲よくなりました。

翌日、さっそくMさんが開店前にシスコ市内の主なところを車で回ってくれました。自転車で市内観光をしたいという私の希望を聞いてくれ、ならばその前にということです。おかげで街の雰囲気や土地勘がつかめ、その後の市内観光に大助かりでした。シスコは坂の多い街ですが、自転車で上りきった丘から見る街並みやその先に見える青い海は格別でした。

私は、北米でできるだけ多くの National Park へ行くつもりで、コースもそれを意識して決定しました(9ヵ所観光)。ヨセミテ国立公園へは自転車でと考えましたが、結局、観光局で探したリムジンバスで行くツアーに参加しました。シスコから往復500㎞、10時間(現地3時間)の少々ハードなツアーです。

目の前には念願のエル・キャピタンがそそり立っていました。1,000mを超える世界一高い一枚岩は実に壮大で、4-5日かけて登るというクライマーの聖地である理由も理解できました。

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ツアーの翌日、奥さんと旅の資料収集のためにトリプルエー AAA (American Automobile Association) のシスコ支局へ。AAA の独自資料のほか、自転車専用資料の入手先を教えてくれました。

北米大陸9700km[7]:Mさんの御守り

居心地がよかったせいで、10日間もMさん宅でノンビリしてしまいました。AIちゃんのタップダンスの発表会を観た翌日に出発することにしました。

「すっかりお世話になりっぱなしで、本当にありがとうございました」
「うん。いいから、いいから。H君もこの先気を付けてね。それから、これ少しだけど餞別に」

そう言うとMさんは封筒を差し出しました。
「餞別って。これ以上甘えられませんから」
すると、横から奥さんが
「遠慮なんかしないの」
「でも……」
「いいから、もらっときなさい」
「そうですか、なら遠慮なくいただきます。ありがとうございます」

そして最後に、
「AIちゃん、さよなら。元気でね」
「うん。おじさんも元気でね」

3人でいつまでも見送ってくれました。
封筒の中には100$紙幣が。私は、この気持ちのこもった100$紙幣を大切にしまいました。

後日談

帰国後、Mさんにお礼の手紙を出しました。
〔その節は大変お世話なり、ありがとうございました。Mさんにいただいた100$は御守りとして、パスポートに忍ばせて旅を続けました。そのおかげで無事帰ることができました。今度はMさんの御守りにしてください〕

Mさんからの返信には、
〔無事に帰られて何よりです。確かに受け取りました。その後、私は日本料理店をオープンし、いまでは従業員も3人に増え、やっと軌道に乗って来たところです〕

北米大陸9700km[8]:レッドウッド国立公園へ

ロスからの州ハイウェイ1号線は、シスコの北約300㎞で U.S.ハイウェイ101号線(ワンノーワンと呼ばれる)と合流し、交通量も少し増えました。この先ワシントン州まではこの101号線を海岸線に沿って北上します。

雨季ではありませんが、ここ北部カリフォルニアは雨が多く、3日ほど降り続いていました。私も余程の大雨でないかぎり、アメリカのサイクリスト同様に走りました。

101号線に沿うようにレッドウッド国立公園(Redwood N.P.)があります。小雨の中、インフォメーションセンターを訪ね、地図をもらい公園内を走ってみました。

直径5m、高さ100m、樹齢数百年のセコイア杉(California Redwood) の巨木群。圧倒されました。中には千年以上の永きにわたり成長を続けるものもあります。きっとこの雨がそうさせるのでしょう。公園を出るころには雨は上がっていました。

北米大陸9700km[9]:タイヤがない!

オレゴン州に入り2日目、初めてのパンクです。ロスを出てからまだ2,000㎞弱、日本製のタイヤは想像以上にすり減りが早く、完全にタイヤコードが露出していました。

私はパンクを修理し、前後のタイヤを入れ替えて走り始めました。明後日には Coos Bay という大きな街に着きます、そこで新しいタイヤを入手するつもりでした。

Coos Bay は港町です。早速、自転車店を探し、”Moe’s” というお店を見つけました。

「すいません。26インチのタイヤを探してるんですけど、ありませんか?」

店主のジムはすり減ったタイヤを見ながら、
「ないな。アメリカでは、26インチの自転車にあまり乗らないしね。特にこの650Bはないよ」

確かに私も見かけたことがありません。
「いま、シスコの問屋に聞いてみるから、ちょっと待っててくれる」

しばらくのあいだ電話をすると、
「そのサイズあるそうだ。よかったな。注文するぞ、どうする?」

「お願いします。3本。日本製のタイヤは柔らか過ぎるので日本製以外で。ヨーロッパ製がいいと思います」

「O.K. ヨーロッパ製だな」

ジムはやり取りのあと電話を切ると、
「タイヤが届くのは、来週の火曜日か木曜日になるよ」

「えーと、きょうは土曜日ですね。しばらくかかりますね。じゃ、来週また出直します」

タイヤ事情

当時のアメリカでは一般的なショップで26インチのタイヤの入手は難しいことでした。一方、ヨーロッパではどこでも手に入りました。私がヨーロッパで使用したミシュランの黒いタイヤは驚くほど丈夫でした。

少々オーバーですがリヤカーのタイヤのように太く、650の42Bか45Bだと思いますが、トレッドは減ったものの一度もパンクすることなく9,000㎞以上走ることができました。

北米大陸9700km[10]:初めてのユースホステル

幸いなことにこの街にはユースホステルがあり、そこに泊まってタイヤの到着を待つことにしました。訪ねてみると、教会の地下がドミトリーになっているユースホステルです。オーナーは優しそうなお婆ちゃんです。

状況を説明して3泊か5泊したいと伝えました。1泊2食付で5$75¢、おいしい食事に大きなベッド。後にも先にもこれほど安いユースホステルはありませんでした。

教会では10時から日曜日のミサが始まりました。私は、母親をはじめ友人、元同僚、ロスのAさん、シスコのMさん、そして、これから訪ねるジェフに手紙を書きました。その後、ちょっと遅い昼食をとりに街へ出ました。

街は独立記念日のイベントやパレードで賑やかです。食事を終え、喧騒から離れるように港へ。他国の貨物船が数隻停泊していましたが、日本の船は見当たりませんでした。この海を隔てた向こうは北海道あたりだろうかと私はボンヤリ考えていました。

翌日は独立記念日の振替休日です。出発するホステラーを見送ると荷物の整理に取り掛かりました。少しでも軽くするために、あまり使わなかった望遠レンズ付きの一眼レフカメラや予備の自転車専用シューズ、そしてロスやシスコで集めた資料などを船便で日本へ送り返すことにしました。

北米大陸9700km[11]:Moe’s自転車店


火曜日になり、Moe’s 自転車店へ行ってみました。残念ながら、タイヤはまだ届いていません。ジムの話しでは木曜日の朝なら間違いなく届いているとのことでした。やむなくユースホステルに戻るとオーナーのお婆ちゃんが声を掛けて来ました。

「タイヤは届いていなかったようだね。まあ、しょうがないね」

「ええ、残念ですけど、木曜日の朝になるそうです」

私は少々愚痴っぽく続けました。
「他の連中は毎朝出発していくけど、私はまたお預けです。まいりました」

すると、お婆ちゃんは
「あんたの旅は、これから長いこと続くんだろ? 1日や2日どうってことないよ。それに木曜日には間違いなく届くんだろ」

「そうですね。さぁて、これからどうしょうかな。ヒマつぶしに映画でも観に行こうかな」

「ああ、それがいい。面白い映画をやってるらしいよ。でも、夕食には遅れないようにね」

日本でもおなじみの〈E.T.〉と〈ANNIE〉が上映中でした。どちらも前月に封切られていて、道すがら映画の巨大看板をよく見ていました。私はミュージカル〈ANNIE〉を観ることに。字幕なしの映画は初めてでしたが、迫力満点のエンディングでした。

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写真をクリックすると、映画の一場面が現われます

北米大陸9700km[12]:北風に向かって再び北上

お婆ちゃんに長かった宿泊のお礼を言うと、約束の10時にジムのお店へ。メーカー名は忘れましたが、ヨーロッパ製のタイヤが届いていました。

前後輪とも新しいタイヤに替え、スペアの1本は寝袋に巻いて荷台にくくり付けました。1本14$で合計42$。支払いを済ますと、ジムは、”Good luck!”と言って送り出してくれました。

オレゴンはカリフォルニアに比べ緑が多いようです。海岸線を少し離れると広大な牧場がひろがり、多くの牛が放牧されていました。ロッキー山脈を水源とするコロンビア川を渡るとワシントン州です。

ここでも強風の洗礼を受けました。川に架かる橋は4マイル(約6.4㎞)と長く、高度を上げながら海側に大きくカーブしています。

海上から数十メートル、まるで海の上を走っているようです。風をまともに受けて自転車はなかなか前に進まず、渡りきるまで40分もかかりました。

101号線を離れ、東にコースをとり高原を越えると、インターステイトハイウェイ5号線に合流、そこはワシントン州の州都オリンピアです。この先は、この5号線をカナダまで北上します。

さっそく、交通局 (Transportation Authority) へ行き、自転車専用地図を入手しました。これで5号線の自転車乗り入れ禁止区間が一目でわかり、安心してカナダまで行くことができます。

自転車で北米大陸を走った人たち[1]

アメリカやカナダを自転車で走った人たちの映像を紹介します。30年余りの「時差」こそありますが、どこか共通するところがあります。

Cycling across America [1] Rhino Cam 17 

Cycling across America [2] Rhino Cam 18

北米大陸9700km[13]:RAND McNALLYの地図

当時、私がアメリカのサイクリストに聞いたところでは、

  • ガソリンスタンドで石油会社が提供している州ごとの無料の地図が入手できる
  • 交通局で都市部のハイウェイに関する地図や情報が入手できる
  • 街のインフォメーション・センター Information Center や Visitor’s Informationでホットな情報や、ときには自転車専用地図が入手できる

アメリカには RAND McNALLY という有名な地図の出版社があり、現在ではネットで地図やその他の情報が入手できます。

当時、ガソリンスタンドに置かれていた無料地図も、この RAND McNALLY 社発行のものです。

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The Salvation Army

雨の中を1日中走ったため、テントで寝る気にもなれず、インフォメーション・センターを訪ねて、安い宿を紹介してもらうことにしました。ユースホステルは電話に出てくれません。YMCA ではオーバーナイトを断られました。

そこで紹介されたのが the Salvation Army です。Army ですから軍隊のドミトリーか何かと思い、これも経験と訪ねてみると、そこではいわゆるホームレスの人たちが食事をしていました。救世軍の施設でした。

私が状況を説明して帰ろうすると「食事だけでもしていけ」と、空腹の私は、その言葉に甘えることに。温かい食事は気持ちまでホットにしてくれました。

パイとアイスクリームのデザートまでいただき、お礼を言うと、今度はホテルの無料チケットまでくれました。さすがにそこまで甘えるわけにはいかず、丁重に断りました。

その後20㎞ほど走り、見つけたモーテルに初めて泊まってみました。ベッドにシャワー、そしてテレビが付いたワンルーム。料金は17$。

ベッドに横になり、久々にテレビを見ていると、いつの間にか寝てしまいました。

北米大陸9700km[14]:パウラ先生との再会

シアトルに着く前にパウラ先生の実家に電話をして、親父さんに先生とジェフの電話番号を聞きました。

シアトル滞在2日目、私は一張羅(?)のコットンパンツに白いシャツ、そしてベストに着替え(残念ながら、靴は汚れていました)パウラ先生とレストランで夕食を。3ヵ月半ぶりの再会です。私はシアトルで購入した日本酒をお土産代わりにプレゼントしました。

image  80年代シアトルの高層ビル群

「Hさん、元気そうですね。アメリカはどうですか?」
「はい、先生。ロスから1ヵ月半、何とかここまで来ました。いや、アメリカの自然の大きさには驚いています。あと缶ジュースやハンバーガーも日本に比べると大きいですね。いや、何でも大きいと思います」

「そうでしょ。アメリカは広いですから、寒くなったらフロリダへ行くといいです。暖かいですよ。それから先生じゃなくて、パウラと呼んでください。で、会話の方はどうですか?  ”light”と”right”は、ちゃんと区別して発音してますか」

「あっはは。先生それ、いや、パウラがいつも私に注意していたヤツじゃないですか。それにフロリダには行きません。ニューヨークからはヨーロッパです。会話のほうは、最低限のコミュニケーションは取れてると思いますけど、難しい単語はやっぱりダメです」

「そうですか。例えば?」
「この間も’癌’という言葉がわからなくて」
「オー、’cancer’ですね。それで?」
「ええ、後でわかったんですが、相手は〔日本人は、どうして皮膚癌が少ないのか?〕と聞いていたようです。そのときは結局、会話が途切れてしまいました」

「私も日本でよくありましたよ。難しい言葉は少しずつ覚えるしかないです」
「そうですね。ところでパウラは?」
「私は、帰国してすぐ働いています。えーとシンジン?」
“newcomer? recruit?”
「はい、それです。新人ですから、とても忙しいです。毎朝4時半に起きています」
「それは大変だ。倒れないでくださいね」

先生も久々の日本語の会話が楽しそうでした。レストランを出ると、日本酒のお礼だと言って、Tシャツをプレゼントしてくれました。胸に大きくシアトルとプリントされたTシャツを選ぶと、

「シアトルはインディアンの酋長の名前です。立派な人です」
「へえー、立派な人ですか。私もあやかりたいです」
「アヤカリタイ? どういう…」
先生は、そう言うといきなり

「Oh, no. ごめんなさい、Hさん」

最終バス

「バスのサイシュウ? 最後?の時間です」
「最終って。何時ですか?」
「8時半です」
時計を見ると、もう10分を切っていました。

「間に合いますか? バス停は近いんですか?」
「たぶん大丈夫だと思いますけど」
慌てて勘定を済ますと、先生は、
「それではHさん。元気で旅を…」
私は言葉をさえぎるように、
「いや、いや、バス停まで送りますよ。さあ、行きましょう。急いで」

いつのまにか2人は、まだ人通りの多いシアトルのメインストリートを小走りに走り始めていました。3分近く走ったでしょうか、先生はバスを見つけると、安心したように、

「ハァー、ハァー、オッ、O.K. もう大丈夫。間に合いました」
「そっ、そっ、そうですか。間に合いましたか、よかった」

2人とも完全に息が上がっていました。しばらくして息が整うと、先生は、
「Hさん、きょうはご馳走さまでした。元気で旅を続けてください。兄に電話しておきます」
「はい、お願いします」

先生がステップを上がると、バスのドアはすぐに締まり、発車していきました。車内で手を振る先生に応え、私も手を振って見送りました。

北米大陸9700km[15]:ジェフとの出会い

シアトルを発って2日目、ジェフの住むベリンハムの街へ到着。ジェフの家はライトブルーのペンキで塗られ、玄関・窓枠・屋根回りだけは白いペンキです。レンガ造りの煙突、庭付きの平屋建ては見るからにアメリカの家という感じです。前夜、電話で夕方までに着くと伝えています。すると、気配を感じて中から人が、

「はーい、ミスターH。ようこそ、わたしがジェフです」と出迎えてくれました。

私も握手をしながら挨拶をすると、彼は自転車ごと家の中に招き入れてくれました。
彼は私より少し年下でいかにもアメリカの好青年という感じです。ポーランド出身の奧さんフィルスと黒い犬一匹と暮らしています。

「まずはお風呂へどうぞ。バスタブの使い方はわかりますか?」
「はい、大丈夫です」

サイドバッグから着替えを取り出し浴室へ案内されると、バスタブの横にはスティック状のお香が焚かれていました。風呂から出て聞きました。

「お香をありがとう。よく焚くんですか?」
「ときどき。それに日本人には、そういう習慣があると聞いています」

「いや、生まれて初めての経験です」
私がそう答えると、ジェフはすこし驚いたようで、
「えっ、そうですか。てっきりそう思っていました。あっはは」
「でも、おかげでリラックスできました」

「とにかく食事の前にビールで乾杯です」
この一言で、彼が好きになりました。なんと言っても風呂上がりはビールです。

 (c) the Bellingham Beer Week

ノビュという呼び名

「ところで、ミスターH。何と呼んだらいいですか。ファーストネームは?」

私がローマ字で Nobu と書くと、彼は
「Nob じゃなくて Nobu ですね。Uがいるんですね」、そう確認すると、

「O.K. ノビュ。乾杯だ」
訂正するのも何か気が引けたので、私はそれ以後 Nobu(/nobyu/) と呼ばれていました。乾杯のあとは一気に打ちとけて会話することができました。

北米大陸9700km[16]:大陸横断レース

食後、私はあの質問をしました。

「ジェフ、聞きたいことがあるんだ。手紙に書いてあった、シスコからニューヨークまでの大陸横断レース、13日半って1日400㎞近く走ってる計算になるけど」
「あれか。あれはタンデム(2人乗り)だ。それに伴走車のサポートが付いている。俺たちはマッサージを受けて、食事と仮眠を取りながら走るだけだ」

「伴走付きのタンデムね。それで納得したよ。そうかタンデムか」
私の疑問が一瞬にして解けました。
「で、ノビュ、お前の方はここまでどうなんだ。順調だったのか?」

「手紙に書いてあった通り海岸線を走って来たけど、北からの季節風には、まいったよ」
「そうだ。いまの季節、弱い風が吹いている。だから俺がツーリングしたときもシアトルからシスコまで南下したよ。体力もかなり違うはずだ」

「やっぱりネ。北へ向かうサイクリストは、俺以外にいなかったもの。そうだ、カリフォルニアのハイウェイで CHIPs に捕まったよ。間違ってハイウェイを走ってネ」
ジェフは大笑いです。
「CHIPs に捕まるって、バカだなぁ。誰も市街地のハイウェイなんか自転車で走らないゾ」
「だから、間違ったんだって」

「それで食事はどうしてた。自炊か?」
「ああ、ちゃんと朝晩やってたよ。雨の日はテントが狭いから、中で炊事をするのは大変だよ。そうだ、2度も夜中にタヌキにパンを盗られて朝飯抜きだった。あれにはまいったよ」
「タヌキか。ヤツらはキャンプ場によく出てくるんだ。また出るかもな」

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辞書を片手のやりとり

わからない言葉があると、私は辞書を持ち出して、彼に確認してもらいながら話しを続けました。それでも話しは尽きませんでした。

「ノビュ、もう遅いから寝よう。明日、明後日は土日で休みだ。どうしたいか遠慮しないで言ってくれ。付き合うよ」
「ありがとう、嬉しい。実は空気入れがつぶれて、なかなか空気が入らないで困っている。それとコンロのプレヒート用のメタを探している。もうひとつ、ノースカスケイド国立公園へ行きたいんだが、どうだろう」
「O.K. じゃあ、明日は自転車店とアウトドアショップへ行こう。あさってはナショナルパークだ。ノースカスケイドへは、フィルスとよくハイキングに行くんだ。まかせてくれ」

ベッドに横になると酒の酔いもあり、私は一気に眠りに落ちました。

北米大陸9700km[17]:キャンプ用具

この旅行には、コンロから寝袋まですべてふだん使用している用具を持参しました。ただ、テントだけは軽さ(1㎏強)と簡便さ(設営1~2分)を考慮して、ゴアテックスのシェルターを新調しましたが、失敗でした。

寝るだけならともかく、やむなく雨の日にはテント内で炊飯をしますが、いかんせん狭すぎました。そんなときに活躍してくれたのが、スウェーデンの軍隊も使うといわれる SVEA(スベア)123です。

コンパクトで火力が強く、扱いやすい。燃料容量は130㏄ですがプレヒートを必要とするものの、ポンピングは不要です。満タン時の燃焼時間は約45分。500㏄の水なら3-4分で沸騰します。

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アメリカでは白ガソリンはコールマンガスと呼ばれ、どこでも手に入りますが、ガロン缶が多く、自転車で持ち運ぶには不便でした。私はガロン缶を他人に譲り、ビールなどと交換するかたちで、持参した燃料ボトルに、そのつど白ガソリンを分けてもらうようにしました。

ヨーロッパではガスカートリッジの方が手に入りやすく、ガスコンロを使用しました。

1人用シェルターには懲りたので、帰国後の日本一周には軽さを捨て、居住性を第一に考え2人用テントを使用しました。

北米大陸9700km[18]:タイヤがあった

翌朝、ジェフはキッチンで朝食のパンケーキを焼いていました。朝食の支度はフィルスと交代でするようです。食後は買い出しへ。

彼の車はライトブラウンのダットサンです。まずは行き付けの自転車店に案内してもらいました。

直付けの空気入れのサイズは長さ約40㎝、つぶれた空気入れも持参していました。フランス・ゼファール社*製の同じサイズのものが見つかりました。

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ホースはフレンチ用ですが、幸いにもねじ込み部分が私のウッズ用ホースと同じです。これで空気入れの問題は解決しました。さらにラッキーなことに26インチサイズのタイヤがあったのです。

店主の話しでは、いつ仕入れたか分からないということですが、新品にはかわりません。その後、備品や消耗品を調達して、携行品の準備はすべて整いました。

戻るとすぐにタイヤの交換です。再びすり減ったうしろタイヤを、先ほどの古い新品(?)と交換しました。これで当分タイヤの心配はありません。

夕食になると、またビールを飲みながらいろいろと話し始めました。

* 1880年ごろ、プトレ(Pourait )という名称でスタートし、クリップ、ランプブラケットなど板金関連の自転車部品メーカーとしてスタートした。1935年に自転車のポンプを製造するモーラン(Morin)と合併し、プトレモーランと社名を変更し、90年代にブランド名であったゼファールに社名に変更した。現在スポーツ系自転車で使われるプレスタバルブ(フランス式バルブ)はモーランによって考案されたものである。[日本語版Wikipediaより引用]

北米大陸9700km[19]:自転車ツーリングとレース

「ジェフ。最近自転車はどうなの、乗ってるの?」
「もちろん、ツーリングもレースも両方やってる。フィルスもツーリングが好きだから、2人でよく行くよ。俺、近々レースに出るんだ。アマチュアのね」

「レースか、ジェフはすごいな。俺はノンビリ走るのが好きだから、レースなんか考えたこともない」
「いや、自転車で海外旅行だなんて、ノビュ、お前だって大したもんだよ。俺にはできないよ」
「本当か? ジェフ、本当にそう思ってるのか?」と、指をさして、からかうと、

彼は笑って、
「本当、本当だ。でも事故には気をつけてくれ、乱暴な運転をするヤツもいるし」
「うん、分かっている。事故には気をつけているつもりだ」

「俺の経験だと中央アメリカ、あの辺はハイウェイしか道がないから、結構交通量は多い。スピードも出してる。たまに自転車の事故もあるよ」
「へぇー。そうか、危ないんだ」
まじめに聞いていると、

今度は、ジェフが笑いながら私を指さして、
「でも、ハイウェイパトロールに捕まる心配はないよ、他に道がないからな。あと、一週間走っても、右も左もトウモロコシ畑だけだ。つまらないゾ。あっはは」

海外での自転車事故

サイクリストなら誰でも、横を走り抜けるトレーラーやダンプの風圧で、一瞬 “ヒャッ”とした経験があると思います。

風圧ではじかれて、その後吸い寄せられるというアレです。北米のトレーラーは、日本のそれよりはるかに大きく風圧も想像以上です。私もたびたび怖い思いをしました。

アメリカのハイウェイとはいえ、都市部を離れれば、一車線の道路が多くなります。うしろから車の轟音が聞こえ、反対車線から対向車がくる場合には、私はできる限り、舗装路から横のベアグランドの路側帯に逃げるようにしました。

しかし、事故はどんなに気をつけていても起こるものです。私が出発する前年には不幸な事故が起こりました。若い日本人サイクリスト2人が事故で亡くなりました。ひとりはトルコで、もうひとりの方はカナダで、トレーラーに巻き込まれました。残念なことです。

北米大陸9700km[20]:ノースカスケイド国立公園

翌日は3人と1匹、車でノースカスケイド国立公園までハイキングに。片道約100㎞。愛犬はうしろの荷台で慣れたようすで、おとなしくしています。

ジェフの話しではこの国立公園がアメリカでは登山家やハイカーに一番人気があるそうです。ジェフたちがよく行くハイキングコースを案内してもらいました。

山々には氷河、緑濃い樹々、水量ゆたかな川、点在する湖。半日のあいだタップリと大自然を満喫できました。

09ジェフとフィルス

ビールを飲みながらの夕食は例によって賑やかです。私が辞書を持ち出すと、少々酔っ払ったジェフは冗談まじりに
「また辞書か。ノビュ、もういい加減にしてくれ」

そんなとき、電話がかかってきました。電話に出た彼は、私に代わるように言っています。どうやらパウラ先生のようです。

「もしもし、Hです」
「はい。パウラです。Hさん、どうです。楽しんでいますか?」
「ええ、きょうは国立公園へハイキングへ行ってきました。すこし疲れましたけど最高でした」

「欲しかったものは手に入りましたか?」
「はい、ジェフのおかげで全部揃えることができました。パーフェクトです」
「それは、よかったです。いま、私はプレゼントされたお酒を友だちと飲んでいます。とてもおいしいですよ」

“Paula, do you love it?”
“Yes, I love it.”
「ライクよりもっと好きな表現をする場合はラブを使うと、授業でパウラが教えてくれたんです」
「そうでした。よく覚えていましたね」
「もちろんです。じゃあ、乾杯!」

電話の向こうで、パウラ先生は笑っていました。どうやら、私も少し酔っ払ったようでした。

Take It Easy

出発の朝、小雨が降っていました。ジェフはわたしの身体中に防水スプレーを吹き掛けると、記念だといってピンク地に前からうしろへ赤い1本のラインの入ったサイクルキャップをくれました。

「いいね、このキャップ。これからずっと被って行くよ。ジェフ、フィルス、2人ともいろいろありがとう。本当に楽しい3日間だった。じゃあ、行くよ」
“Nobu, take it easy. ”
「うん、テイクイットイージーだな」

サドルにまたがりながら、
「ジェフ、レースがんばれよ。どっかの国から絵はがきを送るよ」
”O.K. Take it easy! ”
カナダとの国境まで40㎞、バンクーバーまでは90㎞。きょう中にはカナダです。もうすぐロッキーです。

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