自分の自転車を持ったのは、小学校5年生の時、親に買ってもらった24インチのごく普通の自転車でした。赤が強いオレンジ色の車体、嬉しくて毎日のように乗り回していました。
冒険心の高まり(?)とともに、ある日近所の仲間3人で”Let’s go to Okutama”(当時は一般的に小河内ダムと呼ばれ、駅名も奥多摩駅ではなく氷川駅)と、杉並の自宅から出発したものの、子供の脚力に目的地は遠く、青梅を過ぎたあたりで引き返すはめになりました。
まずいなと思いながらも、帰宅したのは夜8時過ぎ。年長だった私は無謀な計画(?)を親にこっぴどく叱られました。
奥多摩は、20代の後半からよく行った。はじめは山登りで行き、自転車で行くようになったのは30代になってからだ。フレンド商会で買ったランドナーだった。
氷川神社の手前にもいくつかトンネルがあるが、さしたる勾配ではない。氷川(現奥多摩)駅を過ぎてからのトンネルは急勾配で長く、自動車のエンジン音が戦車のように響いて恐怖に駆られることもあった。
水根に親しくしていたご夫婦がいて、電車とバスで行ったときを含めると、数えきれないほど行った。都内から丹波を抜け、柳沢峠を越えて韮崎まで1日で行ったこともある。
峠からほとんどブレーキを掛けないで下ったように記憶しているが、そんなことはあるまい。次の日、八ヶ岳のふもとにある富士見高原まで行ったが、長いゆるやかな登り坂がひどくつらかった。
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