その後は、寒い季節になれば三浦半島、房総半島、伊豆半島など、太平洋側へ。暖かさが戻れば走りは自然と山へと向かい、草津、志賀、渋峠。
時には只見線沿線--数年前の豪雨で数ヵ所の橋梁が流失したままで残念です--へと、さまざまな所へ出かけました。しかし、主たる走りは、やはり中央本線を利用した山梨、長野などの甲信地方です。
当時は夜間高速バスなどありませんから、お決まりのように利用したのは、新宿発 23時58分、小淵沢行きの普通列車。列車は明け方に小淵沢に到着するので、時間的に登山者(サイクリストも)には都合がよくて、いつも満員でした。
床に新聞紙をひろげて座り込み、発車までの束の間の酒宴に興じる者、早ばやと横になる者、つわ者に至っては網棚で寝る始末。
輪行袋の指定席はというと、乗降口のデッキということになります。そのスペースで、私は眠気がさすまで本を読んだり、地図を開いて過ごしていました。

八ヶ岳高原、麦草峠、高遠(たかとお)、馬籠(まごめ)、妻籠(つまご)、木曽福島、開田(かいだ)高原、南アルプス・スーパー林道、夜叉神(やしゃじん)峠…etc.
地名をあげると、景色とともに、その地の懐かしい思い出が浮かんできます。