4月の中ごろだったと思います。O氏から電話で連絡がありました。
「チケットの件、話しをつけといたぞ。ゴールデンウィークあけだな。ピーク時は安いチケットは取れないから」
「わかった。そのつもりでいる。別に急いでないし、まかせる」
受話器を切った後、いよいよ出発が近づいたことを実感しました。
その後は、パスポートの申請、アメリカの滞在ビザ、ユースホステルの会員証の取得と準備を進めていきました。
今では、海外旅行はカードがあればこと足りますが、当時は海外旅行といえば、安全面からトラベラーズチェックが当たり前でした。金融機関の窓口でサインをしない限り現金化されませんから、盗難のリスクがありません。
東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)に海外観光旅行が解禁されました。その時の持ち出し限度額は500ドルです。その後徐々に緩和され、やがて制限は撤廃されました。戦後、1ドル=360円のレートが長い間続きましたが、変動相場制に移行して10年ほど経過した1980年代には1ドル=200円代のレートで推移していました。
旅費としてトラベラーズチェックで1万ドル用意しました。私が出発した1982年当時のレートで約240万円です。自転車旅行は当然、野宿をしながらの移動になりますが、週に1回は宿に泊まると決めていました。シャワーを浴び、洗濯をし、普通に食事をとればリフレッシュして、また旅が続けられると思っていました。
もちろん、観光地に着けばふつうに観光もするつもりでした。そのためにも旅費は十分に用意し、その上で残った旅費は、持って帰ればいいと考えていました。ところで、私が用意したトラベラーズチェックは Bank of America の発行でしたが、ヨーロッパや北アフリカでは扱わない銀行もあり、地方の町では困ったこともありました。あまりメジャーではなかったようです。