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北米大陸9700km[39]:黒人の街デトロイト

シカゴを出発して4日目。デトロイトの手前10㎞ほどのディアボーンの町で、ハイウェイ沿いのフォード本社前を通過しました。

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20世紀初め、デトロイトは「ビッグスリー」といわれるフォード、GM、クライスラー発祥の街、モーターシティとも呼ばれていました。自動車産業や鉄鋼関連産業が成長していく中、高給に誘われ全米各地から多くの人が集まり、南部からは多くの黒人たちが移住してきました。

戦後、強大化する労働組合とのトラブルを避けるように、メーカーはミシガン州を離れ他州に、さらに隣国カナダに自動車工場を建設するようになります。組合に入れなかった黒人たちは利用された形となり、白人に比べ高い失業率を余儀なくされます。

1967年。黒人の集まるバーの取り締まりが原因で始まった警官とのトラブルが、潜在的な人種差別への不満や失業への不安を持つ黒人たちを追いやり、デトロイト暴動へと拡大させていきます。軍隊まで出動して事件を鎮圧したものの、その後デトロイト市内の治安に不安を感じる白人たちは、市内を離れ近郊の街へ移るようになりました。

70年代の度重なる石油危機により、燃費に優れた小型の日本車がシェアを拡大し、徐々にアメリカの自動車メーカーは苦境に立たされるようになりました。デトロイトの街はさらに空洞化が進み、最大180万人だった人口は、私が旅行中の80年代には100万人まで減少し、その6割以上を黒人が占めるようになりました。(2016年現在、さらに減少して人口70万人、黒人が8割以上です)

今では、全米一危険な街というレッテルを貼られたデトロイトの治安の悪さは、日本にいたころからニュースなどで知っていました。私は、ダウンタウンの YMCAに宿泊しましたが、黒人の多さは目についたものの、少なくとも昼間は異常な光景を目にすることはありませんでした。

 

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