ブリストルの街の南東へ約20数キロ、イギリスで唯一の温泉地 Bath の街があります。
温泉は紀元前から知られていたようで、ローマ帝国支配下のころにはローマン浴場が造られました。18世紀になると、時のイギリス国王が、ローマ帝国撤退後荒廃していた施設を新たに貴族の保養地として再建しました。
入場料£1.50。もちろん浴場として使われてはいません。階段が付いた大きなプールのような浴場、そのまわりを囲むように何本もの柱が立っています。
1階は回廊、2階は下の浴場をのぞくかたちで、ベランダのようになっています。まだ温泉が湧いているのでしょうか、外に比べると中はずいぶん暖かく感じられました。
私は、温泉が湧き出るこの街の名前 Bath が英語の Bath(浴場)の語源だと思っていましたが、どうやら逆のようです。アングロ・サクソン系言語の浴場を意味する語の音が〈バース〉に近く、それが地名になったようです。
1987年にバースの街は世界遺産の指定を受けました。近年、市内に温泉施設のスパも造られ、今ではイギリス有数の観光地になっています。
その夜泊まったバースのY.H.のスタンプには、バスタブの中で酒を飲むローマ人の姿が描かれていました。
当時のイギリス世相
イギリス南部に来ると、ロンドンと同じように、さまざまな国の人びとが再び目につくようになりました。
パンクファッションの若者も多く、革ジャンにスキンヘッドやモヒカン刈り、女性は刈り上げた短髪をハデな色に染めています。
街なかではアメリカと同じく日本製の車やバイクが多くみられました。特に目立っていたのが電気製品で、ショップはまるで日本の電気屋と見まちがうほど日本製品であふれていました。
パブで飲んでいても、よく日本製品の話題になりましたが、評判はすこぶる良いものでした。「イギリスにいてイギリスの車が一番高いよ」と彼らは言いますが、それはユニオンが強く、かつ物造りにこだわるイギリスの特徴だと思います。
このころのイギリスはあまり景気が良くありませんでした。失業率も高く、シビアな話になることもありました。
「大学は出たけど職がなくて、今は国からおカネをもらって生活している」「お前、日本人だろ? ノンビリ旅なんかして羨ましいよ」と嘆く青年もいました。
若さからか、それとも酔っていたからか、私は熱く話していたのを覚えています。「日本はイギリスと同じ小さな島国だけど、人口は倍もいるんだ。資源はないし、食べ物の80%は輸入に頼っている。だから、安くていいものを作って海外に売る。つまり技術を輸出する。これが日本のやり方なんだ」
しかし、その高い技術力だけではどうにもならなくなった。それが家電メーカーを始めとする日本のメーカーの現実です。