Madrid(マドリッド)までは、国道 N-611 と N-VI を行くことになります。街道沿いの表示は㎞に変わっています。アメリカ、イギリスとつづいたマイル表示に慣れたつもりでしたが、やはり体に染み着いた㎞の方が距離の把握をしやすいようです。
広がる畑にかたや羊の群れ、牛は首からベルをぶら下げてボロ~ンボロ~ン、農道をノンビリと行く馬車ならぬロバ車。ひとたび都市部を離れれば、国道沿いものどかなものです。
道は徐々に勾配を増し、5%の登りを5kmほど行くと、Reinosa(レイノッサ)の街に出ました。この日は、この街の Albergue Juvenile(Y.H.)に泊まるつもりで訪ねましたが、受付にスタッフはいませんでした。
どうやら受付は5時からのようなので、しばらく街を散策してみました。古代ローマの遺跡もあり、かなり歴史のある街のようです。街中を流れるエブロ川は、遠く地中海に注いでいます。
Y.H.は学校の寄宿舎の一部を開放しているようでした。1泊2食付き約1,000円。
夕食の時間。食堂には、日本でいえば中学生ぐらいの生徒と先生、それに生徒の保護者でしょうか、30人ほどが賑やかに食事をしています。みなさん泊まり込みで何か研修中のようです。 [何だッ、テーブルにワインがあるゾ。ラッキーというか、恐るべしスペインの Y. H.]
「オーラ、ブエナス タルデス」(どうも、今晩は)
取りあえず、スペイン語で挨拶をしてみましたが、どうにもその先が続けられません。何か言っていますが、どうにもチンプンカンプンです。その後は英語で、
「すいません。スペイン語が話せません」
「そうですか。私は少し英語がわかります。どちらの国の方ですか?」
旅する東洋人は珍しいようで、女性の先生が英語で応えてくれました。スペインも2日目ですが、インフォメーション以外では英語での会話ができませんでした。どうやら、スペインの人はほとんど英語を話さないようです。
「私は日本人です。え~……」自己紹介を続けました。
「…?…ハポネス(日本人)…?…」
まるで授業をしてるように、先生は他のみなさんに通訳をしながら説明してくれています。私は彼女にお願いして食後にいろいろ聞いてみることにしました。
取り出したのはフェリーでも見ていた「会話集」、交通公社発行の「海外旅行ポケット通訳六ヵ国語会話1」(880円)です。彼女は会話集に興味があるようで、手に取ると他のみなさんに見せて何やら話していました。
「これはカスティーリャ語といって、スペインの公用語です。スペインの中央部でよく使われていますし、私たちもしゃべります。このような外国の印刷物で見るのは初めてです」
「えっ、カスティーリャ語? スペイン語とは言わない? でも一番ポピュラーなんですよね?」
「ええ。もちろん。ただ、他にもスペイン国内で認められた公用語がいくつかあります」
「他の公用語って?」
「スペインには17の自治州があって、地域によってしゃべる言葉が違います。その州の公用語です。例えば、州都がバルセロナのカタルーニャ州ではカタルーニャ語、ピレーネを挟んでフランスとつながるバスク地方はバスク語、ポルトガルと接する北の地方も違う言葉をしゃべります。他にもまだありますよ」
その後、他の地域を旅行中に、彼女が説明してくれたようにスペイン語と英語のほかに、もう一つ何だかわかからない言葉が併記された標識を見ることがありました。
彼女の話はさらに続きました。
「このあたりの地域は長いことカスティーリャ・レオン州に属していました。そのつながりを絶ち、ことしカンタブリア州として独自の自治権が正式に認められたんです。あなたがフェリーで着いたサンタンデールがその州都です」