さいわい雨は小降りになっていました。彼らにお礼を告げて出発しましたが、パンク修理に突然の昼食会と、かなりの時間が経過してしまいました。
残念ですが、この日のうちの峠越えは諦めるしかありません。[(San Rafael は)小さな町だけど、街道沿いだし宿の1軒ぐらいあるだろう。ダメならテントを張る場所を探すか、それとも軒先でも借りるか]
しばらく走るともう町外れに。その手前のバルに入って聞いてみることにしました。中には4-5人のオッサン客とお店のお姉さんがいます。私はビールを注文して、
「ドンデ オスタル、ペンション?」
「ウン モメント、ポルファボール」
そう言うと、お姉さんは店の奥へ入っていきました。隣のオッサンが私に何やら話しかけてきました。どうやら「ここが探している宿だ」と言っているようです。[入り口の看板に宿とは書いてなかったけどなぁ]
間もなくお姉さんは、小柄でちょっと太めの女主人を連れて戻ってきました。女主人は母親、店を母娘二人で切り盛りしているようです。私は再びその女主人に尋ねました。
「ツーリスタ、ハポネス。アキ オスタル?」（旅行者、日本人、ここ、宿?）
「シー」
「え～と、何だっけ。ノーチェ ドルミール、オーケー?」（夜、寝る、いい?）
そう言うと、両手に頬を乗せ首を傾けるという「万国共通の寝るポーズ」をとってみました。
「シー」
こうして運よく宿が見つかりした。自転車を裏手に回し、外したサイドバックだけ持つと、娘さんに案内されて階段を2階へと上がりました。泊まり客は私一人のようです。
想像以上に部屋は広く、6畳間を二つ合わせたぐらいです。部屋は掃除が行き届き、ベッドには真っ白なシーツ、そして隅にはカーテンに仕切られたシャワーと洗面トイレ。[俺には十分過ぎるかも]
下のバルに戻り、一杯飲みながらオッサンたちと訳のわからぬ話を酒のさかなに夕食をすませました。
[何だーッ!?] あまりにも突然でした。シャワーの蛇口をひねった瞬間、水道管に穴が開いて頭の上から勢いよく四方八方に水が噴き出してきました。まるで突然の夕立ちのようです。
[ヤバイぞ。ヤバイ] 蛇口を開けようと閉めようと、シャワーからはポタポタと水滴が落ちるだけで噴き出す水の勢いに変化はありません。
タオルで穴をふさごうにも配管が高くて届きません。早くも床は水浸しになってきました。慌てた私はフルチンにズボンをはくと部屋を飛び出し、階段の中ほどから大声で叫びました。
「Baño!! Agua! Agua!（バーニョ! アグア! アグア!）」（浴室! 水!）
下をのぞき込むと母娘はいません。先ほどまで一緒に飲んでいた酔っぱらいのオッサンたちは
「便所はそっちだ」「女主人はあっちだ」と取り合ってくれないどころか、笑いながらジェスチャーで私に胸を隠すような仕草をしています。[わかってないなぁ。違うんだってば、大変なんだよ]
なおも大声で
「セニョーラーーーッ!!!」
異変を感じたのか、キッチンからなぜか鍋とお玉を持ったまま女主人が出てくると、階段から手招きする私を見て、何ごとかと急いで上がってきました。
水道管の亀裂がさらに広がったようで、噴き出す水量は増え、部屋の中はおろか廊下にまで水は流れ出しています。今度は女主人が慌て始め、私より大声で娘さんを呼んでいます。
冷静なのは娘さんのほうでした。彼女は廊下の奥まで駆け出すと水道の元栓を閉めました。水の勢いはチョロチョロと、そしてじきに止まりました。しかし、本当に大変なのはそれからでした。
用意されたのはモップに大きなタオル、そしてバケツ。流れ出した水の吸い取り作業が始まりました。行きがかり上私も手伝いましたが、3人での作業は、終わるまでに1時間以上かかりました。
いつの間にかオッサンたちの姿はバルにはありませんでした。結局、その夜は別の部屋で寝ることになりましたが、とんだ珍事に寝付くまでには少々時間がかかりました。
ミルクココアにパン（ジャムとバター）、バルのカウンターで簡単なスペインの朝食をとっていると、娘さんが昨夜のお礼を言いにきました。私はスペイン人がよくやる仕草をまねて、小さく平泳ぎのストロークのような格好で両手を広げながら「De nada（デナーダ）」（どういたしまして）と答えました。
彼女の「クスッ」というかすかな笑い声が聞こえました。母親も何か言っています。「…?… mucho dinero …?…」（ムーチョ ディネーロ）どうやら水道管の修理にたくさんお金がかかると言っているようですが、その顔も娘さん同様笑っていました。
出発時にバルの看板を見てみると、反対側の一番下に小さく Hostal の文字がありました。[何だ、俺が見落としたんだ]
42,000km by bike 