大きな食料品店からキッコーマン醤油を探し始めました。スペイン語で醤油は salsa de soja ですが、並んだ醤油の瓶の多くは soy sauce と英語の表記です。その1本のラベルに Hirohito Sauce のネーミング、その下に soy sauce 、そしてナポレオンのような軍服を着た人物の半身像も描かれていました。
私は、すぐにピーンときました。[天皇陛下の名前だ] それは昭和天皇の名前ヒロヒトをネーミングに使ったものでした。
話は戻り、アメリカはオレゴン州 Coos Bay の街で、サンフランシスコから届くタイヤを待っていた時のことです。公園のベンチに座り、ボケッとしていた私に老人が話しかけてきました。日本人だとわかると、
「ヒロヒトは、元気かね?」
[えっ、ヒロヒト? 誰だ? お爺さんの知り合いか? だとしても、俺が知ってるはずないし、いったいなん誰なんだ] 返事に困る私に、再び
「ヒロヒトは、元気かね?」 しばらく沈黙の後、
「それって、エンペラー(天皇)ヒロヒトのことですね」
「そうだ! そのヒロヒトだ。確か、歳は私よりひとつ若かった気がするが」
「お元気です」と答えると、お爺さんは「そうか。そりゃよかった」と言って、数年前の昭和天皇の訪米時にホワイトハウスで開催された晩餐会のようすを話し始めました。
昭和天皇は若いころ半年間にわたりヨーロッパ各国を歴訪されています。時は過ぎ、日本は日英同盟を破棄し、やがて米英に宣戦布告をし、太平洋戦争へと突入しました。南方戦線ではイギリスやオランダとも交戦しました。
戦後、昭和天皇は皇后陛下とともに再び訪欧されています。そして戦後30年の1975年には皇后陛下とともにアメリカを訪問されました。同じ年、イギリスのエリザベス女王が訪日しています。
お爺さんの話しを聞いて、当時ディズニーランドをはじめ、アメリカ各地で昭和天皇が歓迎されたようすや、アメリカのテレビ放送局のインタビューに答えて「戦争責任」について話されていたのを思い出しました。
アメリカ大陸を横断中、自転車のフロントバッグに縫い付けた日の丸を見て、幾度となく「ヒロヒトは、元気かね?」と尋ねられました。ほとんどが戦争を体験した年輩の人たちでした。
イギリスをはじめ、ヨーロッパのほかの国でも同じでした。戦時中、みなさん毎日のように新聞やラジオで「ヒロヒト」の名前を見聞していたはずです。
天皇陛下にはいわゆる名字がありません。名前を呼び捨てに「ヒロヒトは、元気かね?」戦後37年という年月を経て、敵味方と立場は違っても、同じつらい時代を生きた仲間のような意識が言わせる問いかけなのかもしれません。その問いかけは、親近感をもって尋ねているようにさえ聞こえました。
当時、欧米で一番知られている日本人は、首相でも有名スポーツ選手でもなく、ヒロヒト天皇だったように思います。だからこそ日本では考えられませんが、醤油のネーミングに天皇陛下の名前を使ったのではないでしようか。
その食料品店でキッコーマン醤油を見つけることはできませんでした。その後二つのデパートの食品売り場で探しましたが、結局ダメでした。[在留邦人は、醤油や味噌は日本から送ってもらっているんだろうナ]
結局、キッコーマン醤油に出会えたのは、翌83年の7月、ドイツのスーパーでした。帰国後、気になってキッコーマン醤油について調べてみました。キッコーマンの販売戦略は刺身のための調味料ではなく、欧米で長く親しんでもらうために、その国の肉料理の調味料として使ってもらおうというものでした。
1973年、キッコーマンはドイツに鉄板焼きレストランをオープンして醤油の味を知ってもらうと、79年にやっとドイツのスーパーで売り始めます。そして、レストランのオープンから24年後の97年に、ヨーロッパで初めて現地工場をオランダに設立しました。
アメリカでは、57年の販売から73年のウィスコンシン州工場設立まで16年です。ヨーロッパのほうが時間がかったのは、ヨーロッパの国々に食への強いこだわりがあったからでしょう。
先日、スクープかそれともリークか知りませんが、天皇陛下の「生前退位」の話がいきなり出てきて驚きました。諸外国の王室では「生前退位」も多いようですが、日本の皇室典範にはその規定がありません。
摂政制度を柔軟に運用していくか、皇室典範を改正するか、検討する必要があるという意見があります。改正には国民の総意が必要とのことです。日本の憲法では基本的人権で国民一人一人の自由を認めています。一般人とは立場が違いますが、ひょっとしたら一番自由がないのは天皇陛下のような気がします。