ポルトガル人とスペイン人は、それぞれが自国の言葉でしゃべっても話が通じるといいます。それでは隣国同士「仲が良い」のかというと、どうもそうでもないようです。
12世紀にカスティーリャ・レオン王国から独立し、小国として先にまとまったポルトガルは、イスラム勢力を急速に排除すると、スペインもそれに続きます。
大航海時代(Age of Discovery)には、植民地開拓で双方しのぎを削りますが、いずれもカトリック国ということもあり、異郷での紛争にはローマ教皇に調停の依頼をしています。
16世紀には、後継者のいないポルトガル王国にスペインが侵攻し、自治を認める形で同君連合が始まりました。順調そうにみえた関係も、スペインの失政に伴う重税に反発したポルトガルが同君連合を解消し、独立戦争へと進みました。
その後もさまざまな国益がからみ、ポルトガルにはイギリスが、スペインにはフランスが後ろ楯になり、さらに複雑な関係になっていきました。
イベリア半島のその後の歴史はポルトガルとスペインをまとめて考える必要があるように思います。
大航海時代の終わりを告げるかのように、両国とも後進の列強イギリス・オランダ・フランスのあいだで海上でも陸上でも利権争いが始まります。
隣国同士の争いの過去はありますが、「仲が悪い」と一言でかたずけられない何かが、この辺にあるような気がします。
Lisboa(リスボン)へ
エルヴァスから古都 Evora(エヴォラ)、そして大西洋を望む港町 Setúbal(セトゥバル)を経てポルトガルの首都リスボンへと向かいました。
ポルトガルとスペインの同君連合時代、キリスト教の布教をスムーズにするためにイエズス会の提案で、1584年にキリシタン大名の派遣した天正遣欧少年使節団がリスボンからマドリッドへ向かう途中、当時、学問と芸術の中心地だったエヴォラを訪れています。
1986年、エヴォラ歴史地区として世界遺産に指定されました。