セトゥバルの北に位置するリスボンまでは40キロ弱、テージョ川にはヨーロッパ最長のつり橋「4月25日橋(ponte 25 de Abril)」が架かっています。1966年に開通、全長2㎞以上の珍しい名の橋は1974年4月25日の無血クーデターを記念して名付けられました。
それ以前は30年以上独裁政治を続けた経済学者サラザールの名をとって「サラザール橋」と呼ばれていました。4月25日は「自由記念日」としてポルトガルの祝日にもなっています。
橋を渡ってテージョ川沿いの道をトラム(路面電車)と並走しながら東へ数キロ走り、川に面したリスボン最大の広場、コメルシオ広場に着きました。入国から三日目の12月23日、どうやらポルトガルでの年越しになりそうです。
驚きの出会い
まずはインフォメーション・センター探しから。
北へ1キロほど行ったロッシオ広場の先、リスボンの目抜き通り、リベルダーデ大通りの起点レスタウラドーレス広場にインフォメーションはあります。格子状に区切られたリスボンで一番賑やかな Baixa(バイシャ)地区をゆっくり走っていると、突然声がかかりました。
「こんにちはーーッ」
手に荷物を抱え、青のダウン・焦げ茶のニット帽・黒縁の丸眼鏡に長髪の日本人青年でした。私も驚きましたが、彼も驚いているようでした。
「こんにちは。日本人の方みたいですね。旅行中?」
「はい。実は僕も自転車で旅行してるんです」
「えっ! 自転車って。ひょっとして君、W君?」
「えーーっ!! 何で僕の名前を知っているんですか?」
自己紹介をすますと、スペインのバダホスの街で日本人露店商のIさんに「リスボンでW君に会えるかもしれない」と言われたことを話しました。
「でも、まさか会えるとは思っていなかったよ。しかもリスボンに着いたとたんだもん」
「そうですよね。Hさん、僕らなんか縁があるのかもしれませんよ」
「そうかもな。で、リスボンで今は何しているの?」
「実は、例のアクセサリーを売ってるんです。この先で、これから店開きするところです」
「それ?」と言って荷物を指差すと、W君は「ええ」と答えてうなずきました。
彼はIさんにマドリッドからリスボンへ移動した日本人露店商を紹介してもらい、彼らのペンションに居候させてもらっているとのことでした。
「ところでHさんは、これからどうするんですか?」
「俺っ? 今日これからインフォメーションに寄ってから、Y.H.に泊まるつもりなんだ。W君、明日も店を出すなら覗きに行くよ。街をブラブラしてから」
「ええ、そのつもりです。この先、三つ目の角を入ったところです」
「オーケー。じゃ、また明日」
インフォメーションに寄り、リスボン観光の資料をもらうと、そのまま緩やかな登りを2キロほど走り目的のY.H.にチェックインしました。