前日インフォメーションでもらった地図と資料をたよりにリスボンの街を自転車でぐるっとひと回り。
当時、リスボンの人口は約80万人。街自体大きくないため、かなり人口密度が高いと思いましたが、大きくないぶん自転車で回るには好都合でした。
市内にはいくつものトラムや地下鉄そしてバスなど、充実した交通機関がありましたが、夜間の外出時にそれらを利用する程度で、昼間の市内観光はもっぱら自転車を利用しました。
まずは Y.H. の近くにある「エドアルド7世公園」へ行ってみました。もともとは「自由公園」と呼ばれていましたが、1903年に当時のイギリス国王エドワード7世がポルトガルを訪れたのを記念して名称を変えたそうです。
ポルトガルとイギリスの関係は古く、1373年には「英葡永久同盟」が結ばれ、その起源は1293年に遡るといわれています。この条約は現在も有効で、世界最古の国際条約とされています。
1755年にリスボン大震災が起こり、市内では死者3-4万人。周辺地域の津波による被害者を含め、9万人にのぼるともいわれています。当時の宰相ポンバル公爵はバイシャ地区の区画整理を始め、耐震建物の構築など復興の陣頭指揮をとりました。
公園の入り口には、その功績を称えて造られたロータリー状の「ポンバル公爵広場」があり、その中心に公爵の像が立っています。広場からリベルダーデ大通りが続き、緩やかな傾斜の先にはリスボンの美しい街並み。そして、テージョ川を挟んで対岸の Cacilhas(カシリャス)の街が見えていました。
リスボンは「7つの丘と7つの谷でできている」といわれます。時には石畳の狭い路地を走るケーブルカーを自転車で追いかけながら、アップダウンの多い市内の観光スポットを巡りました。市内に3系統のケーブルカーがあります。
半日ほど自転車で走って気付いたのですが、密集しているうえに坂が多いためか、条例で禁止されているためか不明ですが、リスボンの中心地域にはいわゆる高層ビルがありませんでした。また、ポルトガルに入ってスペインより日本車が多いように感じていたのですが、リスボン市内も同様でした。
この日はクリスマスイブ。カトリックの国ポルトガルではキリスト教の祭事には気合いが入るようで、街にはクリスマスツリーが飾られ、イルミネーションが輝いていました。