1983年1月1日(土)、新年はポルトガルのポルトで迎えました。ポルトガルでも、この日は新年を祝う休日ですが、特に変わったこともなく、ごく普通に新年を過ごしているように見えました。
この日、リスボンに戻る途中に寄るところがありました。それは、南北に長いポルトガルのほぼ中央、内陸部に位置する小さな町ファティマです。リスボンをたつ前、L君に相談されていたのです。
「Hさん、ポルトの帰りに寄りたい場所があるんですけど、いいですか? ファティマというところなんですけど」
「ファティマ? 何それ、観光スポットなの? 別にいいよ、寄っても」
「観光スポットというか、ファティマは聖母マリアが現れた奇跡の地といわれ、キリスト教徒の巡礼地として有名なんです」
「巡礼?」 バチカンが認める聖母マリア出現の三大奇跡の地は、メキシコとフランス、そしてもう一つがポルトガルのファティマです。
第一次世界大戦の最中、1917年5月13日、ファティマの村に住む3人の羊飼いの子どもの前に聖母マリアが突然現れ、毎月13日に同じ場所に来るように伝えて、三つの予言を告げたそうです。
その年の10月13日、聖母マリアが最後に現れた日には何万人もの群衆が集まったとのことでした。しかし、彼らに見えたのはグルグルとあらぬ動きをする太陽だけで、聖母マリアの姿は見えなかった、といいます。
そのほかに、三つ目の予言がいまだに謎であることやローマ教皇ヨハネ・パウロ二世も前年の5月13日にファティマを訪問したことなど、L君がいろいろと説明してくれました。
同時に話してくれたのが、ブラジルで生まれたL君は、きちんと洗礼を受けたカトリック教徒であるということでした。同じキリスト教でも、聖母マリアの偶像化をよしとしないプロテスタント教会は、「聖母マリア出現の奇跡」に対して否定的だそうです。
列車でリスボンに戻る途中、最寄り駅からバスに乗り、奇跡の地ファティマに向かいました。
[何だよ、この広さは!] ビックリしたのは毎年<ファティマ記念日>の5月13日に10万人以上の巡礼者が集まるという大きな広場です(最大30万人収容可能とも)。
広場の反対側にある建物の尖塔の先には小さく十字架が見えています。敬けんなクリスチャンのL君は、きっと深い感慨をもってこの光景を眺めていたと思います。
「いやー、広いね。驚いたよ。あれがファティマの大聖堂かな?」
「そうです。あれが聖堂です。1953年に建てられたバジリカ式教会といって、回りに廊下がある最高位の教会の建築方式です。それにしても大きな広場ですね」
広場を横切って聖堂の中に入ると、広場のまばらな人影からは想像がつかないほど、多くの巡礼者や観光客が目に飛び込んできました。
バジリカ聖堂の左隣には、聖母マリアが現れたといわれる場所に「出現の礼拝堂」と呼ばれるチャペルが建ち、堂内には聖母マリア像が祀られています。
L君はマリア像の前でしばらくお祈りを捧げていました。それは、ポルトの教会でも見せなかった初めての姿でした。
チャペルの前に丸く大きな燭台があり、多くの人が異様に長いロウソクに灯りをともして供えていました。〔それにしても、いくらなんでも長すぎだろう〕