リスボンに戻った翌日、L君はスペインのセビリアに向けて出発しました。残りの休日をセビリア観光で過ごして、ブラジルに帰国するとのことでした。
日本に帰国した後、彼からは毎年クリスマスにすてきなカードが届きました。私からクリスマスカードを送るのは照れくさいので、年賀状を封書にして送っていました。
港へ出かけ、ノンビリ釣りをする日々が続きました。リスボン港はテージョ川の河口に広がる港、気水域にはボラやスズキなどの魚がいるはずです。
釣る気マンマンの私は、下処理用の包丁にと、キャンプで使う十徳ナイフを釣竿と一緒に持参していました。もちろん、釣り上げた魚は Y.H.に持ち帰り調理するつもりでいます。
イギリス、スペインと寒かったこともあり、釣りをする機会がありませんでした。ロスアンゼルスの海でカツオ、カナダの川でマスを釣って以来の久々の釣りにワクワクしていました。
ポルトガルはスペインよりサービス業に従事する若者の英語を話す割合が少し高く、物価も安く感じられました。
その上、真冬とはいえ、リスボンの日中の気温は15度、夜でも10度前後と比較的過ごしやすく、貧乏旅行者にとっては、とても居心地のよい国でした。
ポルトガルは、当時の西側ヨーロッパで物価が一番安かったと思います。2015年に義務教育の第1期3年生(8歳)から英語が必修課目の第一外国語になりました。今後、ポルトガルの英語事情も変わってくるでしょう。
そんななか、港で一人の少年と知り合いました。きっかけは、私が昼飯に用意したパンをあげたことです。彼の名前はバル、年齢は15歳です。