無口(?)な友人バル少年
いつものように港へ。手には釣竿と昼飯、そしてズボンの尻のポケットには文庫本が1冊。冬のテージョ川にそそぐ日射しは東京よりも暖かく感じられ、吹く風すら心を和らげてくれているようでした。
テージョ川の河口に広がる、ここリスボン港は東西10㎞、南北20㎞。西に20㎞も行けば、そこにはもう大西洋が広がっています。
先ほどからキャスティングを何度も繰り返していますが、一向に魚の当たりがありません。
キャスティングを諦め、川辺に竿を立てると、私は文庫本を読み始めました。竿先には当たりを知らせる小さな鈴をつけてありますが、ときどき頭をあげて糸の張り具合もチェックしていました。
年が明けてから、港に入港する船の数はめっきり減ってしまいました。当時、ポルトガルは2-3年インフレが進み、港で働く労働者が賃上げ要求のストライキを始めると、対抗した会社側はロックアウトしてしまいました。それが船が港に入ってこない原因です。1隻、2隻と停泊中の船を数えてみても両手に余るほどでした。
やがて知り合いのバル少年がやって来ました。おとなしい彼のちょっとした自慢は、目的は分かりませんが、ブラジルのサンパウロとフランスのパリに行ったことです。[アレッ? 冬休みは確か3日までだろ。今日は早く終ったのか? もしかして、バルのヤツ学校に行ってないのか?〕 ポルトガル語が話せない私には確かめようもありませんでした。
バル少年と一緒に昼飯のパンをかじり終えると、潮が引き始めた砂浜で餌のゴカイ取りが始まります。そして、ゴカイ取りが終わると、また柔らかい日差しのもと二人並んで黙って座っていました。お互いに言葉がわからないどうし、コミュニケーションは身ぶり手ぶりが中心になります。それ以外はただ黙って座って魚の当たりを待っていました。
突然バル少年が、唯一知ってる英語で叫びました。
「フィッシュ! フィッシュ!!」
彼の指差す方を見ると、顔なじみの老人がちょうど魚を釣り上げているところでした。今度は私が叫びました。
Jantar! Jantar!!(ジェンタール! ジェンタール!!=晩飯だ! 晩飯だ!!)
二人で顔を見合せてニッコリ。そして、また沈黙が続きます。いつの間にか風向きが変わり、冷たい風が吹き始めると私はコートの襟を立てました。
Frio. Frio.(フリーオ。フリーオ=寒い。寒い)
小さな声でそう言いながら、バル少年は私の風下に座り直しました。両手をポケットに突っ込み、両膝を小刻みに震わせています。
文庫本を40頁、50頁……。
どのぐらいの時間が過ぎたでしょうか。とうに港は夕陽に照らされ、まばゆいほどに紅く染まっていました。
[今日はダメだ。そろそろ帰るか] ふとバル少年の方を見ると、両膝の間に深く頭を垂れて眠っています。二度三度と肩をつついてみても起きそうにありません。
いつも私の帰り際にタバコをねだる彼ですが、自分で吸う素ぶりを見せたことがありません。誰かにあげるのか、それとも友だちにでも売って小遣いかせぎしているのでしょうか。私は彼の足下にタバコを3本そっと置くと、釣竿をたたんで港を後にしました。