港で他人の釣りを眺めてブラブラすること約1時間。バル少年がやってきました。私は身振り手振りをまじえながら、知っているポルトガル語の単語を並べました。
Amanha viagem adeus.(アマニャー ヴィアジェーン アデウシュ=明日 旅行 さよなら)
バル少年はわかってくれたようです。彼はニコッとしながら何か言っていますが、私に理解できたのは最後の「チャオ」の言葉だけでした。私はいつものようにタバコ3本を手渡しながら “O.K. Good bye!” と告げて港を後にしました。私はリスボンで過ごした時間のなかで [会話はほとんどなかったけれど、ひょっとしたら港で彼と一緒にいた時間が一番長かったかもしれない] そんなことを考えていました。
続いて顔見知りのウェイターに挨拶に向かいました。仕事とはいえビールを飲む私に付き合い、色々と教えてくれた感謝とお礼を英語で伝えました。もちろん互いに握手をして肩をたたきあうリスボン流で。長い「さよなら」が私はどうにも苦手です。「明日の朝、早いから」と彼にことわりを入れて、すぐにバールを出ました。これで心置きなく好きな街、リスボンを出発できます。
1983年1月12日(水)朝8時。コメルシオ広場の郵便局の前でW君は時間通り待っていました。
「おはよう。まずまずの天気でよかったよ。気合い入ってんじゃない」
「ええ、久しぶりに自転車で走るんで、何かワクワクしてきました」
「うん、己もだよ。それ、なかなかいい自転車じゃない」
「そうですか。自転車は詳しくないからわからないんです」
私は毎日のように自転車に乗っていましたが、それでも旅支度をして乗るのは約3週間ぶりになります。私よりリスボン滞在が長かったW君は、おそらく1ヵ月にはなるはずです。
ノルウェーで購入したというW君の自転車は、キャンピング仕様のしっかりした造りでした。黒い車体にヘッドとシートチューブに二ヵ所、合わせて三ヵ所に赤いアクセントが入っています。
ダウンチューブには何やらロゴがプリントされていますが、どこの国で製造された自転車なのかまではわかりませんでした。
出発前に二人で決めたことは二つだけです。まずはコース: ポルトガルからスペインのセビリア、そしてジブラルタル海峡の港町アルヘシラスからモロッコへ。もう一つは旅の経費: お酒を含む食費から宿代、その他雑費まで全て折半にする。この二つでした。何かあったときは話し合って、そのつど決めることにしました。