1983年1月26日(水)。シャナに会いにリスボンへ行ったW君が4日ぶりに戻ってきました。
スッキリした表情で「もう二度とリスボンへは行きません」と言い切りました。きっと自分の気持ちをうまく伝えることができたのでしょう。それに応えてシャナも快く送り出してくれた、私にはそう感じられました。
私はセビリア滞在1週間、もう市内観光は十分です。W君も同調してくれて出発は明後日と決め、その夜は二人でフラメンコを見に出かけました。残念ながら見物したかった闘牛は11月から3月までシーズンオフで、4月の〈春祭り〉がオープニングになるそうです。
備品の調達
出発を翌日に控えて、W君は私のオススメの観光スポットへ。一方の私は、アフリカでは欲しいものが手に入らない可能性があるので、物価が安いスペインでもろもろ調達するためにスペインで一番有名なデパート〈コルテ・イングレス〉へ。
購入したのは日本製でない醤油(?)、カラーフィルム、セーム革(鹿革)の冬用の手袋、プーマのスニーカー、フランス製キャンピングガスのコンロ……などなど。
ゴム底の中に鉄板が入った自転車専用ツーリングシューズはもうボロボロで限界でした。荷物になるので、予備のシューズをアメリカで送り返したのが悔やまれます。
以前書いたようにヨーロッパでは白灯油よりカートリッジガスのほうが入手しやすいので、ここセビリアでキャンピングガスに買い換えました。スウェーデン製のスベアの白灯油用コンロは日本へ送り返すことにしました。
一つ、偶然入った雑貨店で見つけたスグレモノがあります。それはアルミ製のコッヘル、値段は確か日本円で400円ぐらいだったと記憶しています。蓋にゴムのパッキンがあり、持ち手を返してキッチリと蓋をロックすると、圧力鍋のように早く、しかもふっくらとお米を炊き上げることができました。30年以上たった今でもコンロともども現役です。