翌朝、三人でYさん宅の隣にあるアルジェリア政府の出先機関に出向きました。
ちょうど、オランダ人の若者が「私は学生なのになぜ強制両替しなくてはならないのか?」と、職員と交渉している最中です。アメリカ人の若者は「アメリカから International Student Card の届くのを待っているけど、まだ届かない」とボヤいています。
私たちの番になりました。職員は私達の質問に答えて、
「自転車はフィギからアルジェリアへ入国して下さい。国境にアルジェリア軍の施設がありますから、ここウジダからは自動車でないと入国できません」
「フィギからの入国にも強制両替がありますか?」
「はい。どこから入国しても同じです」
「Wさん、あなたは留学生ですね。強制両替の必要はありません」
W君は、留学生を証明する ID カードを持っていたので事なきを得ました。
時刻は10時、二人はその場でビザ発給の申請書を提出。ひと通り申請書に目を通した職員の応対は「3時半に取りにきて下さい」のひと言でした。
「Yさん、フィギから入国しても強制両替の必要があるみたいですね」
「ええ、それが分かっただけでも良かったですよ。アルジェリアへはウジダから列車にするか、バスでフィギまで行くか考えます」
「バスがあるんですか?」
「はい。南へ向かう列車は途中の Bouarfa(ブアルファ)の町までしか行ってませんから、結局そこからバスに乗るんですよ」
Yさんは仕事に行く前に、同じブロックに住む同僚の隊員Kさんを紹介してくれました。ちょうど、モロッコ人スタッフと昼食の準備をしているところで、皆で一緒に会食となりました。
KさんもYさんと同じ20代後半、ウジダの市役所で現地のスタッフに測量技術を教えています。Kさん宅の壁には「般若心経」と並んで「日本とモロッコの友好のために」などの標語らしきものが数枚貼られており、彼の決意のほどが伝わってきました。
Kさんの話では、当時モロッコには30人の日本海外青年協力隊員が派遣されていたそうです。そのうち彼ら二人を含む5人がウジダで任務に就いているとのことでした。
現在も日本とモロッコの関係は良好で、有償・無償にかかわらず、上下水道や道路などのインフラ整備を中心とした日本の支援活動が続けられています。以前からの彼らのような海外青年協力隊員の地道なボランティア活動があったからこそだと思います。
いったん宿に戻ることにしました。その前にW君は闇レートで両替をすることに。前日の1,600ディナールとうって変わって、100$=1,200ディナールでした。それでも正規レートの3倍近く、やはり恐るべし闇レートでした。