食料品店の前で出会った駐在員の企業名は聞きそびれましたが、当時アルジェリアには、新日鐵、川崎重工、日立プラント、東洋エンジニアリングなど多くの日本企業がすでに進出していました。
今から4年前の2013年1月、現地日本人が犠牲になった「アルジェリア人質事件」を覚えている方もいると思います。
もちろん、すでにかなり以前からこの人質事件で犠牲者を出した日揮株式会社もアルジェリアに進出していました。(日揮は1928年創立、社名の由来は旧社名の日本揮発油株式会社から)
アルジェリア南東部 In Amenas(イナメナス)近郊の砂漠で日揮などの外国の複合企業が手掛ける天然ガスのプラントを標的にしたアルカイダ系のアフリカのイスラム過激派による襲撃・人質事件が起きました。
複雑な情勢にあったマリ共和国の北部にフランス軍が軍事介入し、それに対抗してイスラム過激派が起こした事件です。
日本大使館が攻撃自制を要請するなか、アルジェリア軍の特殊部隊の制圧作戦が決行されました。事件は鎮圧されたものの、多くの外国人人質に死傷者が出ます。残念なことに日揮関係の日本人人質のうち10名の方が亡くなり、一国の犠牲者としては一番多数になってしまいました。
日揮とアルジェリアの関係は古く、日揮が東証一部に上場した1969年まで遡ります。この年、日揮はアルジェリア政府とアルジェリア西部オランにほど近い Arzew(アルズー)の石油精製プラント建設の契約を結びます。
赤字まで出して建設したアルズーのプラントはアルジェリア政府に高く評価され「フランスの言いなりにならずにすむ」と言わせたほどです。このプラント建設で日揮はアルジェリア政府から大きな信頼を得ることになります。以来、何もないアルジェリアの砂漠の真ん中にいくつもの科学プラントを建設するようになります。
近年のプラント建設は、外敵からの危険にもさらされています。アルジェリア人質事件という不幸なことが起きてしまいましたが、二度と同じようなことが起きてほしくないものです。