Design a site like this with WordPress.com
Get started

異文化・北アフリカ: Tunisia(11) リビア行きを断念

明けて4月1日(金)、自転車で日本大使館へ向かいました。

チュニスの街の北には市民の憩いの場〈ベルべデール公園〉があり、動物園が併設されています。日本大使館は公園の東に位置しています。

対応してくれたのは、私と同世代の職員hさん(苗字の頭文字が同じなので小文字にさせてもらいます)。

「こんにちは。あのー、アルジェリアから手紙を送ったHといいます。荷物を?」
「はい、手紙は読ませてもらいました。もう一人の方と一緒に自転車旅行をしているようですね。こちらで、Hさん宛の日本からの手紙は預かっていますが、荷物はまだ届いていません。ちょっと待ってください」

しばらくすると、hさんは何通かの手紙の束を持ってきてくれました。手紙の送り主は、母親、姉の家族そして知人。異国で日本からの便りは嬉しいものです。

「ありがとうごさいます。あと、ひとつお聞きしたいんですが?」
「はい。何でしょう」
「実はこの後リビアへ行こうと思っているんですが、どうでしょうか?」
「う~ん。リビアですか。ハッキリいってリビアはやめたほうがいいです。安全が保障できません」

hさんは、そう言い切ると具体的に説明してくれました。

運び込まれた旅行者

数ヵ月前、裸同然(身ぐるみ剥がれたそうです)で意識不明の旅行者が、心あるリビア人によってチュニジア側の国境まで運び込まれたそうです。

大使館で保護したのですが、医師の話では「眠り薬か何かを飲まされたようだ」とのこと。幸いにも三日目に意識が戻ったそうです。

いま、当時のメモを見ながらブログを書いています。運び込まれた旅行者は日本人だと説明された気がするのですが(東洋系で日本大使館に運ばれたのかも)、メモにはその記述がありません。

当時、リビアはカダフィ独裁政権下ですが、治安は保たれていました。日本とも国交があり、日本の大使館も置かれていました。

〈アラブの春〉のひとつといわれるリビア内戦時に日本の大使館は引き上げますが、その際機密漏洩を避けるために機材をすべて壊したと聞きました。

私はリビアの国内情勢をほとんど知らないものの、独裁政権下でも治安が維持されていれば何となく行けるんじゃないかと考えていました。ただ、hさんの話を聞いた以上、ここは断念せざるを得ません。もし、W君も一緒に行くとなれば彼の身の安全も考えなくてはなりません。

「いや、話が聞けてよかったです。リビア行きはやめます」
「その方がいいですよ」
「ありがとうございました。荷物は日本に電話で確認して、また来ます」
「いや、それには及びません。私から連絡しますので、滞在中のホテルの電話番号を教えてください」
「そうですか。じゃ、よろしくお願いします」

そう言ってホテルの電話番号を手渡すと、hさんは受け取りながら、

「Hさん、いずれ日本食でもどうですか? 招待しますよ」
「えっ、いいんですか? じゃ、いずれ」

そう言うと大使館を後にしましたが、この時は正直それほど期待していませんでした。

チュニジアから日本への電話はどうするのか、帰る道すがら考えていました。私たちの泊まる安宿からは国際電話をかけられそうにありません。

宿泊も6日目、気心が知れてきたフロントの兄ちゃんに聞いてみることにしました。

Leave a Reply

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out /  Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out /  Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out /  Change )

Connecting to %s

%d bloggers like this:
close-alt close collapse comment ellipsis expand gallery heart lock menu next pinned previous reply search share star