高級ホテルなら可能ですが、私たちが泊まる安ホテルからは、やはり国際電話はかけられません。街の公衆電話も一部を除いてダメとのこと。
そこでフロントの兄ちゃんが教えてくれたのが、チュニスの街のところどころで見かける小さな電話局です。
チュニジアと日本の時差は8時間。旅を続けるW君も大阪の両親と連絡をとる必要があります。午前11時に電話局へ。この電話局、どうやら私設のようで、電話所といった方がいいようです。
日本の時刻は同じ日の午後7時、この日は土曜日ですが、夕飯どきですから誰かいるはずです。
受付で日本へのコレクトコールを頼み、指定された電話ボックスへ。受話器を取ってオペレーターに電話番号とコレクトコールの通話希望を告げました。
「もしもし、姉さん?」
「あんた、今どこなの?」
「チュニスなんだけど、大使館でみんなの手紙受け取った、ありがとう。で、頼んだ荷物送ってくれたんだよね?」
「あらイヤだ、届いてないの。とっくに送ったわよ。2週間以上経ってると思う」
「あっ、そう。わかった。もう少し待ってみる。ところで、みんな元気?」
「元気よ。きょうはまだ誰も帰ってきてないけど。あんたは元気?」
「俺? 俺はいつも元気だよ。オフクロさんに俺から電話があったって言っといてくれる?」
「はい。わかりました」
「じゃぁ、お願いします。切りま~す」
荷物を送ってくれたのは確認できました。あとは待つしかないようです。W君も家族に旅を続けることを了承してもらい、休学の延長をどうするか相談したようです。
80年代初めの日本への連絡方法
私は日本を発つ前の母親との約束通り、無事を知らせる意味で最低月に一度は絵ハガキや手紙を書いていました。その合間に親族や知人にも便りを出していました。
帰国後、便りが日本に着いた日付からどの程度の日数がかかっているかチェックしてみました。
アメリカとヨーロッパが1週間以内、1週間のチュニジアを除く北アフリカが10日ほど、東欧となぜかギリシャが2週間ほど。やはり、飛行機の直行便の有無や経由地の違いで、日数もかなり変わるようです。
貨物便となると、また条件が変わってくるのか、2週間以上経っても日本からチュニジアへ荷物が届かなかったのはやむを得なかったのかも知れません。
一方、日本への電話は母親の誕生日や新年、主要都市に着いたときなど節目節目にかけていました。今より電話料金は高めです。
割高になりますが、旅先からはコレクトコールを利用していました。国際電話も手紙と同じで国によって事情が違ってきます。
アメリカではどこの公衆電話からも日本へ通話できました。オペレーターを呼び出して日本のオペレーターに繋いでもらいます。受話器の向こうでオペレーターと母親のやり取りが聞こえていました。
チュニジアでは電話局で指定された電話ボックスを使用していました。国によっては目の前のオペレーターに電話番号を渡して日本へつないでもらうなど、方法もさまざまでした。