ユースホステルからナポリの南東ポンペイの街まで30キロほど。この日、私たちは自転車でポンペイの遺跡へ向かいました。ナポリの街をぬけると左手に徐々にベスビオ火山が近づいてきます。やがてベスビオ火山を背後に右手に海が見えだすと、まもなくポンペイの街に着きます。
遺跡の入り口にはすでに多くの観光客が。この日は土曜日で幸い入場料4,000リラが無料です。中に入るとガイド付きの日本人の団体さんがいました。W君の提案で団体のお尻にくっついてガイドの説明を聞きながら回ることにしました。
紀元79年、大噴火によって標高1,900mのベスビオ火山の約3分の1、600mほどが吹き飛び (現在の標高1,281m)、その火砕流によって約3分ほどでポンペイの街は埋まってしまったそうです。街の北西約10キロの位置にベスビオ火山が見えていますから、いかに火砕流が速かったのか想像を超えています。
18世紀から始まった発掘により、当時のまま残された街のようすがよくわかります。私が訪ねた当時は、まだ3分の1ほど発掘されずにいるということでした。
左右に遺跡群を見ながら、一番奥に位置する円形闘技場へ。ほぼ完璧に近い形で残っており、チュニジアのカルタゴの荒れた円形闘技場と比べるとえらい違いです。
戻る途中、当時の居酒屋兼食堂へ。カウンターにはワインの入った壺を入れる穴。壁には鮮やかなポンペイ赤といわれる顔料のフレスコ画、描かれているのはこの店の5人の守護神たち。最後に街の中心の広場を抜けて出口へ向かいました。
ベスビオ火山が大噴火したころ、日本では古墳時代の前の弥生時代の中期。比べてみると古代ギリシャからローマ帝国へと続く文明は、やはりかなり進んでいたようです。
ナポリの夜景は香港、函館と並んで〈世界三大夜景〉の一つに数えられています。最近では、モナコ、香港、長崎の新世界三大夜景というのもあります。
この日の最後は、その夜景のビューポイント〈ポジリポの丘〉へ。この小高い丘は私たちの宿ユースホステルの近くにあり、ポンペイからの帰りに寄ってみたのです。
あたりがだんだんと暗くなって行くなか、ナポリ港の湾曲に沿うように街灯りが明るく見え始めました。うっすらと遠くにベスビオ火山も見えています。