国立公園内を抜けても海沿いの道は、車のストレスもなく私たちの自転車の走りも順調、別荘らしき、しゃれた建物も左右所々に見えています。
ナポリを出発して3日目、海沿いから内陸に進路を変えると、それはすべてローマへ向かう道、やはり急に車が混み始めました。
ローマへ残り30キロを切り、このまま走ってもよいのですが、ローマ到着が日没になりそうです。初めての土地、しかも大都会ローマ、あまりよろしくない噂も耳にします。ここはリスクを避ける意味でも翌日の明るい時間の到着を選択しました。
となると、問題なのがテントを張る場所です。あたりはローマの通勤圏で住居も多く、適当な場所がなかなか見つかりません。この日は、やむなく道路ぎわの建築現場の空き地にお世話になりました。
お昼前にローマ到着。まずはインフォメーションでもらった地図で、翌日からの観光に備えて市内の観光スポットの位置関係を確認します。
ローマは大きな街ですが、街の西、テベレ川の対岸に位置する〈サン・ピエトロ寺院(バチカン市国)〉と南に位置する〈カラカラ浴場〉がやや離れてはいるものの、他の有名観光スポットは街の中心に集中しています。その真ん中にあるのが〈ベネチア広場〉、観光の目印になりそうです。
ベネチア広場の北東に〈共和国広場〉、北に〈トレビの泉〉と〈スペイン広場〉。北西には〈パンテオン〉、南に映画「ローマの休日」で王女を演じたオードリー・ヘップバーンの相手役の新聞記者を演じたグレゴリー・ペックが手を突っ込んだ〈真実の口〉、南西に〈フォロ・ローマノ〉と〈コロッセオ〉。
これらの観光スポットがベネチア広場を中心に約3キロ四方に収まっているのです。
ローマの観光は翌日からにして、宿泊予定のユースホステルに向かうことにしました。
ベネチア広場から北北東に真っ直ぐのびる通りを5キロほど行くとテベレ川の対岸にオリンピック競技場 Foro Italico (フォロ・イタリコ)があり、その一角にローマ・オリンピックの選手村を改造したユースホステルがあります。
テベレ川沿いの幹線道路脇にあり、夜中もひっきりなしに車が通り、うるさくて私は睡眠不足になりました。選手村に宿泊したオリンピック選手たちは寝不足にならなかったのでしょうか。ローマ・オリンピックといえば東京オリンピックの前回大会の1960年開催、私たちが宿泊した23年前になります。まだその頃は車の往来も少なかったのかも知れません。
この日の昼、ユースホステルから一本道を南へ4キロ、自転車でバチカン市国へ向かいました。
バチカンはローマ教皇が統治するカトリックの総本山、世界で一番小さな国です(広さは皇居の半分以下、日本とは互いに大使館を置いていますが、バチカン側に土地がないため日本大使館はローマ市内にあります)。
イタリアとの国境を明確にする税関もありませんから、行き来は自由、ただサン・ピエトロ広場を囲むようにして柵が置かれているだけです。
サン・ピエトロ寺院に隣接する〈バチカン美術館〉は、いくつかの美術館や礼拝堂の総称で、当然ですが、多くの美術品はキリスト教にちなむものです。なかでも有名なのがシスティーナ礼拝堂にあるミケランジェロが描いた〈最後の審判〉、教科書や美術書でよく見る天井画です。
美術館をゆっくり回った後はその美術館から東へ2キロ半ほど、途中テベレ川にかかる橋を渡ってスペイン広場に向かいました。スペイン広場も映画「ローマの休日」であまりにも有名、階段に腰かけておしゃべりをする人、下の広場からそれを眺める人など、多くの観光客で賑わっていました。
ユースホステルを出たのが遅かったこともあり、スペイン広場に着いたころには陽も傾き始めていました。この日の観光はここで切り上げました。