行き交う人や車の多さに圧倒されたのか、ローマ滞在は3日間で早々に出発しました。
東京生まれ東京育ちの私は、それまでの職場も新宿区や千代田区と都心のど真ん中、喧騒や人混みには慣れているはずでした。
ニューヨークでは2週間以上居候していましたが、ここローマはロンドンやマドリッドと同じように3日間が限界のようです。どうやら、自転車旅行をのんびり続けていくうちに、あわただしい都会が少々苦手になったのかもしれません。ただ例外もあり、リスボンだけは3週間滞在、落ち着いた街の雰囲気が気に入ったようです。
この先、W君の希望するギリシャへ向かうため、アペニン山脈を越えてアドリア海に面したフェリーの発着港ブリンディジをめざします。チュニジアに比べて物価が高く感じられるイタリア、少々急ぎ旅になりそうです。
アペニン山脈は、幅は最短20-30キロから最長140キロ、長さ約1,300キロにわたりイタリア半島を走っており、北・中央・南の3つに別れています。私たちが越えて行くのはローマの東に位置する中央アペニン山脈です。
ユーラシアプレートとアフリカプレートがぶつかり合うこの地方は昔から地震が多く、2009年にもマグニチュード6以上の地震が起こりニュースになっています。
国道5号をしばらく行くと登りが始まりましたが、舗装された道路は走りやすく、私たちは順調に距離をかせいで行きました。ローマ市内では気づきませんでしたが、まばゆい日差しの中で周りは新緑の季節を迎えようとしています。
ローマが州都のラッツオ州を抜けて東隣りのアブルッツォ州に入ると、中世の面影を残す街 Carsoli (カルソーリ)へ。初日はこのカルソーリの街外れにキャンプ。早くも標高600mを越えています。
朝から続く登りはさらに標高を600m近くをかせぎ、峠を越え今度は一気に500m下ると標高700mほどの盆地の街 Avezzana (アベッツァノ)へ。
ここからしばらく平坦な道を走ると、行く手に山が近づき分岐が現れました。国道5号は北東へ、分岐から始まる国道83号は南東へ、標識を目の前にして
「Hさん、どっち行きましょうか?」
「どっちに行っても山道だろ。どうしょうか?」
「5号線は標識に Pescara (ペスカーラ)ってありますよ。ペスカーラはアドリア海の港町ですよ」
「うん。ひと山越えてあと100キロぐらいだな」
「こっちは、えーと、パルコ ナシヨナル… 何とかって書いてありますよ」
「それ、国立公園だろ。ナポリからの海沿いにパルコ・ナショナル・チルチェーオってあったじゃん」
「じゃ行きますか? 国立公園へ?」
「期せずして二度目の国立公園だよ。いいんじゃない、行こうよ」
地図を広げてルートを確認すると、国立公園内に標高1,400mの峠が待っています。この日はその登りの手前 Gioia dei Marsi (ジョーイア・デイ・マルシ)の町でキャンプ。