フォッジャの街からは、アドリア海へ向け国道544号の平坦な道が続きます。ここプーリア州はイタリアの穀倉地帯と呼ばれるとおり、道路脇にはオリーブ、ブドウ、小麦、野菜など多くの畑が目につきます。一方でイタリアは工業も盛んですから多くの工場群も見られました。
国道544号は、やがてアドリア海に面した Barletta (バルレッタ) の街へ。海の向こうにはいずれ私が訪れるであろうユーゴスラビア。バルレッタからは海岸線を走る国道16号を行くことにしました。
港町が多いせいか、スーパーに魚がよく並んでいます。この日の晩飯のメニューは、W君の提案で小魚と野菜の天ぷらに決まりました。二人ともチュニスで大使館員のhさんにご馳走になった天ぷらの味が忘れられなかったのかも知れません。
天ぷら油の代わりに使用するのはオリーブ油、浜辺にテントを張ると、さっそく天ぷらの調理に取りかかりました。しかし、カラッと揚がらず油くさい期待外れの天ぷらになり、どうにも箸がすすみませんでした。
最近ではオリーブ油で揚げ物をする日本の家庭も増えたようですが、うまく揚がらなかった原因は使用するオリーブ油の種類とその温度にあったようです。それでも残った天ぷらは翌朝に天丼にして二人で食べきりました。
海岸線には畑と工場、そして10キロちょいごとに街が点在しています。この日はプーリア州の州都 Bari (バーリ) を一気に走り抜け、Monopoli (モノポリ) の街から国道16号を離れて海岸線を走り、小さな港町 Savelletri (サヴェッレトリ) へ、走行距離90キロほど。イタリアの最終目的地ブリンディジまでもう50キロを切りました。
アドリア海に面したこの地域は古くから交易港として栄え、歴史的にも有名な街やギリシャやアルバニアから先祖が移り住んだ街など見所も多いのですが、アブルッツォ国立公園を下ってから4日間、私たちはひたすらブリンディジをめざして走っていた気がします。どうやら気持ちはすでにギリシャに向いていたようです。
ブリンディジ近郊にもトゥルッリと呼ばれる少々異様な石積みの円錐屋根の家が立ち並ぶ街 Alberobello (アルベロベッロ) がありますが、私たちはそこへも立ち寄りませんでした。イタリアは世界遺産が一番多い国で、アルベロベッロのトゥルッリも1996年に世界遺産に指定されています。
ブリンディジではペンションに2泊、ローマ以来久々にベッドの上で寝ることにしました。2人1部屋1泊16,000リラ=約2,900円。
ブリンディジは古くからの交易港、十字軍もこの港から出兵して行きました。街にはこれといった観光スポットはないようです。ただブリンディジはローマへと続く古代の軍用道路アッピア街道の終点、街にはその円柱モニュメントがあります。
「イタリアは古代と中世の遺産でもっている」と皮肉を込めて言う人がいますが、それは観光面でのこと。私にはそれだけではない農業、工業ともに盛んな国に見えました。私が旅したのは南イタリアだけですが、北イタリアに行けばもっと顕著に感じられたのではないでしょうか。
先を急ぐばかりに何となくせわしくなったイタリアの旅でした。そんな中、私の記憶に残っているのは、やはりアブルッツォ国立公園を走行中に突然現れたいやしの光景、雪山をバックにした丘の上の教会でした。
次回は、ブリンディジの港からフェリーに乗ってギリシャへ向かいます。