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ぐるっとヨーロッパ: Bulgaria(4) 働くロマ(ジプシー)

[えッ、まさか?! あそこで働いているのジプシーじゃないの](以前日本でよく使われた「ジプシー」は英語名です。ヨーロッパでは国や地域により呼び名が異なり、東欧では主にロマといいます)

ブラゴエフグラッドの街で買い出しを終えて再び走り出すと、おそろいの青い作業衣を着た人々が視界に飛び込んできました。10人以上が街道沿いの畑で農作業をしているのです。浅黒い肌と彼らの雰囲気ですぐロマだとわかりました。

Spain[1](8)「大都会マドリッド」で赤ん坊を抱いて物乞いするヒターノ(ロマ)について書きました。歴史的には北アフリカへ向かったロマもいたようですが、北アフリカでは遭遇しませんでした。

しかし、ヨーロッパに戻るとローマのバチカン市国周辺など大きな街で物乞いするロマの姿を時おり見かけました。「奴らには気を付けろよ」と現地の人に言われていました。

物乞いのほか置き引き、スリ、麻薬密売、売春など、何かとイメージの悪いロマですが、ここでは働いているのです。「どういうことなんだ?」ずっと気になっていた私は、帰国してから調べてみました。

ロマの来歴

ロマの先祖は北インドの移動型ロマニ系民族といわれ、ヒンディ語の流浪の音楽家という言葉に由来しています。インドでは最下層に位置づけられ、もともと舞踏や音楽を生業にしていたようです。

ヨーロッパへ移動し始めたのはかなり古く、アレキサンダー大王の北西インド侵攻の紀元前にまでさかのぼります。5世紀には時の支配者の思惑でペルシャへ送られ、8世紀にはアラブ側に加担して戦ってインドに敗れ、アラブ人と共に西へ退去するロマもいました。

10世紀になると新天地を求めてヨーロッパや北アフリカへ移動するようになります。中世まで長きにわたり幾度となくロマの西方への移動が繰り返されました。彼らは楽士、鋳掛け屋、馬喰、手工芸品作りなどをしながら移動したのです。

ヨーロッパの人々には移動型のロマたちがその風貌とともに奇異に映りました。15世紀には一部のロマが偏見を避けるため「神聖ローマ皇帝の特許状」を持って巡礼中だと偽って流浪し、現地の人々からそれなりの扱いを受けていました。

その「特許状」が一つの契機になったのではないでしょうか。それが偽物だとバレるや、彼らに対するヨーロッパの人々の蔑視や迫害へと変化したようです。

大航海時代、イギリスやポルトガルはロマを南北アメリカなどの植民地へ奴隷として送り出しました。現在、アメリカには、当時奴隷として送られたロマと19世紀後半以降バルカン半島から移住したロマを含め、100万人以上のロマがいるといわれています。

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