ブラゴエフグラッドの街から10キロちょっと、右手の山へ伸びる道はリラ山脈へと続いています。道路わきの標識は終点に「リラ修道院」があると記しています。その奥には、ブルガリアの最高峰ムサラ山(標高2925m)がそびえています。
10世紀に建てられた<リラ修道院>はオスマン帝国時代にもキリスト教信仰が認められていたことを示しています。修道院は火事で消失しますが、その後再建され、ブルガリア正教の中心として、また建物自体がブルガリア復興期の傑作として、私が旅行中だった1983年、<ピリン国立公園>とともに世界遺産に登録されています。
この日のキャンプは79号線から少し入った沼のほとり。前夜は寒くて夜中に目が覚めてしまい、あわてて重ね着をして寝袋にくるまりました。少々寝不足で、途中でめずらしく昼寝したこともあって、走行距離があまり伸びませんでした。それでもソフィアまであと30キロと迫っています。
ブルガリアはバルカン山脈をはさんで北側は大陸性気候、南側は地中海性の影響で温暖と聞いていました。しかし、内陸に入ったことと標高を増したことで、夜はかなり冷え込んできたようです。
昼前にソフィアに到着し、すぐツーリストインフォメーションへ。安宿を紹介してもらうためです。いつもならユースホステルという選択になるのですが……。
カウンターの女性スタッフが英語で対応してくれました。
「こんにちは」
「はい、ようこそ。何のご用でしょう?」
「できるだけ安い宿を探しているのですが? 自転車で旅行している日本人です」
「自転車で? それはすてきですね。え~と、安い宿ということですが宿ではないのですが、一般家庭はどうでしょう?」
「一般家庭? ホームステイということですか?」
「はい、そうです。一般家庭に低料金で宿泊できます。紹介できますけど」
「ヘェー、そうなんだ。オーケー、安ければいいです。それでお願いします」
「では、パスポートを見せてください」
パスポートを見ながら何やら書類に書くと、彼女は電話をかけ始めました。
「何泊をご希望ですか?」
「そうですね、3泊でお願いします」
「3泊ですね、わかりました」
紹介所か直接宿泊先に電話をかけたのでしょう。しばらくして電話を切ると、パスポートとともに1枚の書類と住所の書かれた市内地図を渡してくれました。地図には印が付いています。
「オーケー、話がつきました。え~と、ここが現在地です。こちらが宿泊先です。何棟か高層住宅が立っていますから遠くからでもわかるはずです。宿となるお宅は1階です」
「ここからどのぐらいですか?」
「そうですね、3キロぐらいだと思います。ご婦人お一人でお住まいです。宿泊料金は3日分前払いでお願いします。その書類も一緒に渡してください」
「はい、前払いですね。で、何時ごろまでに行けばいいでしょうか?」
「あまり遅くならないように、夕方までには着くようにお願いします」
「オーケー、わかりました。サンキュー」
「はい。それでは、よい旅を」
現在はソフィアを始めブルガリア各地に居心地のよいユースホステルがあります。この時は一般家庭に泊まりましたが、なぜだったのでしようか。宿泊代が安いから? 私の好奇心から? 当時、ソフィアにはユースホステルがなかったのでしょうか。なぜだったのか思い出せないでいます。