予定どおり朝8時に起きると居間へ行き、「ドブロウトロ(おはよう)、ママ」と、声をかけると、居間の奥の台所兼食堂からお母さんの声がしました。
「カムカム、ノブ。ブレックファスト」
「ブレックファスト! ブラゴダリャ(ありがとう)」
何とテーブルには丸いパンとヨーグルトが。宿泊に朝食付きと聞かされていなかったので、うれしい驚きでした。テーブルにつくと同時にコーヒーも運ばれてきました。
パンと思ったのは、ひも状のパイ生地をクルッと巻いてオーブンで焼いたブルガリアの朝食の定番<バニツァ>でした。バニツァのなかにチーズや野菜が入っていて、<フリャブ>と呼ばれるブルガリアの丸いパンとともに家庭の味となっています。
朝食を終えると「6時ごろには帰るつもりです」と奥さんに伝え、自転車でソフィアの街へ観光に出ました。
ブルガリアは、東部の黒海に流れ込む河川流域と北部のルーマニアとの国境となるドナウ川流域の平野部を除くと、国土の約7割が標高200m以上です。ソフィアを中心とする西部は平野部が少ない高地となっています。
ソフィアは標高550mの盆地の都市。有史以前からトラキア人によって栄え、ローマ時代には<セルディカ>と呼ばれていました。そのトラキア人と6世紀に南下したスラブ人、7世紀にアジアの遊牧民ブルガール人が混ざりあって現在のブルガリア人が形成されたといわれています。
国名のブルガリアはブルガール人に由来しますが、私が耳にしたのは「私はトラキア人の末裔[まつえい]だ」の言葉。ブルガリアのルーツないしアイデンティティはこの辺にあるのかもしれません。
東へ黒海、西へアドリア海、南へエーゲ海、北へ中央ヨーロッパへと続く道の交差点、古くから交通の要衝だったソフィア。なのに、第一次、第二次ブルガリア帝国時代には一度も首都になったことがありません。
ブルガリアは14世紀後半から500年近くもオスマン帝国の支配下にありました。その後、帝国がロシアとの戦争に破れると、1879年、第二次ブルガリア帝国の首都だったタルノボ(元大関琴欧洲の出身地)で国会が召集され、ソフィア遷都が議決されました。
当時ソフィアは<スレデツ>と呼ばれていましたが、街の名はロシアが推すソフィアに決定します。交通の要衝ソフィアの人口はブルガリア国内五番目の3万人にも満たなかったといいます。私が旅行した83年当時は100万人、現在は首都圏に150万人が居住する大都市になってます。
「少しでもトルコから遠くに都を移したかったんだ」。本音とも冗談ともつかないブルガリア人の言葉が印象に残っています。