民宿の「お母さん」が用意してくれた朝食を食べ終わると、バッグを自転車にくくり付けていよいよ出発です。相手に英語が通じないのならと、時に私は日本語で話しかけていました。そのほうが自然に感情が伝わると思ったからです。この時も日本語で
「いろいろありがとうございました。お陰でノンビリできました。ドヴィジュダネ(さようなら)、ママさん。出発します」
ペコリと頭を下げ、握手のつもりで右手を差し出すと、お母さんは私の手を両手で握ると何やらブルガリア語で、
「…?… …?… チャオ、チャオ、ノブ」
「道中、気を付けて行くんだよ」そんなふうに聞こえました。[ありがとう、ママ]
この日は日曜日で多くのお店がしまっていますが、開いてるお店を探し出し、食料を仕入れると、ユーゴスラビアへE80号線(欧州道80号線)を走り出しました。
ソフィアで温泉のつもりが
[ソフィアじゃ残念ながら温泉に入れなかったなァ。まぁ、ハンガリーで入るチャンスがあるかもナ]道中そんなことを考えていました。ソフィアで温泉に入るつもりでしたが、結局かないませんでした。
ブルガリアは日本の約1/3の国土に1500を超す源泉があり、湯温・泉質・効能などの異なる温泉が500種類あります。古代トラキア人も温泉を中心に集落を形成していたそうです。
テレビ番組のヨーロッパ温泉めぐりでブルガリアのドロ湯や医療用の温泉など一風変わった温泉も紹介されおり、ブルガリアの温泉については少し知っていました。
ギリシャ国境近くには露天の公衆浴場があるとも聞いていましたし、途中の Sandanski (サンダンスキ) やブラゴエフグラッドに温泉があるのも街道沿いの案内で知っていました。ただ「ソフィアにも温泉があるよ」の言葉を聞いて、ソフィアで温泉に入るつもりでいたのです。
実は温泉があるにはあったのですが、バーニャ・バシ・モスクに隣接するイスラムの公衆浴場ハマムでした。北アフリカで何度もハマムを利用していましたので、その勝手はよく知っています。
ハマムは私のイメージする青空のもとの温泉と異なり、今さらという気持ちもあって利用することはありませんでした。結局、ソフィアでは温泉に入らずじまいでした。
ソフィアのハマムは、私が旅行した二年後に閉鎖され、2014年にソフィア歴史博物館として保存されました。ブルガリアは再利用が得意なようで、ソフィアの国立美術館も旧王宮ですが、もとはオスマン時代に建てられた警察本部です。当時の建物がシッカリしているということでしょう。
国境まで20キロで祝い酒
国境まで20キロ、何だか道路わきがにぎやかです。大勢の人びとの中心にウェディングドレスの女性の姿がありました。隣のスーツ姿の男性が新郎です。
近くに教会が見当たりませんから、どこかで行われたパーティの終わりでしょう、アルコールも入り盛り上がっています。ようすを眺めていると、男性がボトルと小さなグラスを持って近づいてきました。
グラスを差し出し「飲め!」と言っているようです。せっかくの祝い酒、断るのも失礼と思い[ハ~イ、新婚さん。お幸せに!! ウッ、何だこれ。キツ~ッ]
日本では蒸留酒としてウィスキーが一般的ですが、ヨーロッパでは時として訳のわからぬアルコール度数90度というようなスピリッツやリキュールにお目にかかります。この時飲んだ酒もかなり度数の高いものでした。
「もう一杯!」勧められても無理、酔っ払って国境を越える訳にはいきません。断るつもりの首振りは OK のサイン、慌てて首を振るのをやめ「ネー、ネー。ギブアップ !!」。