1983年5月29日正午、ユーゴスラビアとの国境を目前にして、サイクルメーターは2万キロを示していました。
写真は、当時のキャッアイ製サイクルメーターです。モニター[写真左]もセンサー[写真右]もかなりの大きさです。
国境事務所内の両替所で残ったブルガリアのお金レフの再両替をお願いすると「できません」とのこと。
「ギリシャとの国境クラタでは両替できると聞いたんですが?」
「そうですか。残念ですが、再両替はできない決まりです」
[何だよ、マルクかドルに再両替できるんじゃないの。話が違うじゃん]多少腹立たしく思いましたが、交渉してもムダな気がしたので隣接するお店で何かおみやげになりそうなものを探すことにしました。
ちょうどいいものが見つかりました。ハンカチというかランチョンマットというか鮮やかな色の刺繍を施した布地です。[軽くてカサ張らないし、これならいいや、いずれ日本に送ろう]刺繍布と絵ハガキを数枚、残りはタバコに。お金はすべて使いきりました。
「色使いや絵柄一つ一つに意味があります。ブルガリア刺繍は有名ですよ」あとで教えてもらいました。ブルガリア出国、そしてユーゴスラビア入国とスムーズに終了。
両替はブルガリアと同じく50ドルにしました。50$=4,000Dr.(ディナール) 1Dr.=3円
日本発1年で走行距離20000km
実はこの日5月29日(日)は成田を経ってちょうど1年、正午に記録した走行距離2万キロは、私にとって記念すべき(?)数字になったのです。
これまでメモっていた手帳も1年を経て残りページが少なくなり、一周年を迎え気分も新たにメモるべく、ソフィアで新しい手帳を手に入れていました。
ユーゴスラビアに入って30キロほど、この夜テントで書いたメモには 20,000÷365=54.8 約55㎞(1日平均)「おつかれさん」と記しています。
1日55キロという数字は走らない日も含んだものです。私の感覚では実質1日平均80キロぐらいではないかと思っていました。帰国後、走らなかった日を差し引いて計算し直すと、想像した通り、1日平均80キロという数字に落ち着きました。
新たにソフィアで購入した手帳の価格は約80円、茶色いビニールカバー付き、当時日本では見かけなくなったザラ紙で作られています。インクの濃淡のほか、面付けが悪いのか断裁が悪いのか、左右ページの罫線がズレており、中には罫線のない白紙のページもあります。
ただ、ビニールカバーは破けることもなく、手帳自体もバラけやほつれがでてきません。製本はしっかりしているようです。