首都 Beograd(ベオグラード)まで300キロ。紀元前から Nisava(ニシャバ)川沿いに栄えた古都 Nis(ニシュ)の街を過ぎると、街道は呼び名を E5号線と変えました。
このニシュの街はJリーグ名古屋グランパスで活躍した愛称ピクシィでおなじみのストイコビッチ選手(後にグランパスの監督に)の出身地です。現在、E5号線は E75(A1)号線となっています。
時刻は夕方、この日のキャンプ地を探すため に E5号線 Razanj (ラジャニ)の町でインターチェンジを出るとポリスからパスポート・チェックを受けることになりました。昼間のニシュの街でのチェックについで本日2度目になります。久々のパスポート・チェックは北アフリカ以来のことでした。
ソフィアから続くE5号線はヨーロッパを代表する幹線道路です。道路は整備されて走りやすいのですが、とにかく行き交う車の量が半端なく多いのです。特に物流を支えるトラックの多さが目につきます。トラックのナンバープレートを見ると、トルコ、ハンガリー、オーストリアと国はさまざまです。
一方、乗用車は圧倒的にドイツナンバーの車が目立ちます。商用か観光かわかりませんが、人の移動はやはりドイツが一番多いようです。
この日の走行距離は120キロ、夕闇が迫るなかテントを張る場所探しが始まりました。そんな折り、キャンプ場の看板が目に留まりました。[キャンプ場か、たまにはいいか。前はいつだっけ、アメリカ以来かな?]
キャンプ場の利用は思い出せないぐらい久しぶりでした。キャンプ場をめざして自転車で移動するのは意外と疲れるものです。
簡単に見つからない日もありますが、夕方近くなったら行き当たりばったりでもいいからキャンプ場所を探す、その方が楽に感じられます。
すばらしいビューポイントに出会うと、日が高いうちにテントを張ることもありました。もっとも「野宿ならお金がかからない」、これが一番の理由かも知れません。
キャンプ場内のシャワーを浴びて晩飯の支度に取りかかると、いつのまにか10人ほどの子どもたちが集まってきました。なかにはジェスチャーで「タバコをくれ」という子もいますが、私が断るとそれ以上はしつこく要求しません。北アフリカの子どもたちとは違うようです。
自転車で旅する東洋人が珍しいのか、晩飯の支度をする私のようすを子どもたちがじっと見ています。それでもロウソクに灯りを点し、ビールを飲み始めたころには皆引き上げて行きました。
キャンプ料金 100ディナール=約300円。
この日も夕立に。ギリシャ、ブルガリアそしてユーゴスラビアと、時おり夕立に遭っていました。この季節、南バルカン地方では夕立が多いのかも知れません。