ユーゴスラビアは翌1984年に共産圏で初めて開催される第14回冬季オリンピックを控えていました。場所は第一次世界大戦の発端となったボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボです。
この時、札幌も二度目の冬季オリンピックに立候補していました。一回目の投票ではトップでしたが、サラエボとの決戦投票で破れていました。
国境でもらったユーゴスラビアの観光案内の地図にもオリンピックのロゴマークが印刷されています。ユーゴスラビアが分裂してなくなってしまった今では、この観光案内は貴重かもしれません。
ベオグラードまでの道中、時おりサラエボ・オリンピックのポスターを目にしました。ベオグラードの街では、オリンピックのポスターとともにマスコット・キャラクターのオオカミのポスターも目にしました。オオカミは名前を VUCKO(ブチコ)といい、山の守り神と言われる伝説のオオカミです。
午後からは当てもなく街をブラブラ。落ち着いたベオグラードの街をオリンピックのポスターが華やいだ雰囲気にしていました。
「丘の上の公園に行ってみた?」
「うん。川の向こうもベオグラードの街だろ? 結構大きな街だね」
「そう、ユーゴの首都だからね」
「来年はオリンピックだね」
「ボスニアのサラエボでね。みんな楽しみにしてるよ」
「まだ見所はあるんだろうけど、1日ブラブラしたからもういいかな。あしたは出発するよ」
「オーケー、明日チェックアウトだね」
翌日、ハンガリーへ向けて出発することにしました。
ドミトリーに戻ると「イラク人はブルガリアへ向けて出発したよ」と同室のスリランカ人が教えてくれました。スリランカ人も、あしたチェックアウトして自宅のあるのスイスに戻るようです。
私はベッドに横になり、日本への絵ハガキを書き始めました。ハガキはベオグラードのものではなく再両替できずにブルガリア側の国境でやむなく購入したものです。
手帳にこの日のできごとをメモっていると、スリランカ人が話しかけてきました。
「君はこれからスイスに行くんだろ。チューリッヒだったら案内するから寄ってくれよ。僕の住所を教えるよ」
そう言うと、彼は私の手帳にチューリッヒの自宅のアドレスを書いてくれました。うれしいことにこれまでも旅先で知り合った人からアドレスをもらっていましたが、自転車での移動はアチコチ立ち寄ること自体なかなかむずかしいのです。
「サンキュー。寄れるかどうかわからないけど、その時は頼むよ」
この時もハッキリと返事ができませんでした。