ベオグラードの北にはパンノニア平原が広がっており、アップダウンを気にせずハンガリーの首都 Budapest(ブダペスト)まで走れるはずです。
相変わらず交通量の多い E5号線を北上、ベオグラードから75キロ、Novi Sad(ノビ・サド)の街に差しかかったときでした。後ろから何やら声が。
振りかえると、声の主はちょっと古いロードバイクに乗った青年です。[何だよ、うるさいヤツが出てきたナ]私に追い付くと、並走しながら、英語で話しかけてきました。
「ヘイ、すごい自転車だな。どこから来たんだ?」
私はフロントバッグに縫い付けた「日の丸」を指差して、
「わかる? これ国旗。日本だよ」
「おーッ、日本か。知ってるよ」
「どこへ行くんだ?」
「まずはスイスに行くつもりだけど」
「スイスか、じゃハンガリーからオーストリアだな」
「うん」
「それ、そのグローブくれないか?」
「えーッ!!」
何と、彼は私の自転車用のグローブをくれとせがんできたのです。[こいつ初対面のくせに何言ってんだ。いくらなんでも厚かましいだろ]
交通量も多く、並走しながらの会話は危険です。適当な場所を探し、止めることにしました。
彼の手袋を見ると、丈夫そうな革製ですが、だいぶくたびれて見えます。彼が欲しがっているのは日本製のセーム皮のメッシュの指切り手袋です。
彼の気持ちが何となくわかる気がしました。ユーゴスラビアは社会主義国にしては珍しく西側とも貿易も盛んですし、普通に情報も入ってくるはずです。ただ、そこはやはり社会主義国、欲しいものが必ず手に入るとは限りません。
彼の言い分は「お前はこの先また気に入ったグローブが手に入るじゃないか。だから、くれよ」と、少々乱暴な話です。極力出費を避けたいという思いと、せっかく手にフィットしている手袋をあげる気にはなりませんでした。自分の気持ちを伝えると、彼は渋々納得し、自己紹介を始めました。
彼は17才、日本でいうところの高校生で名をブランコといい、学校で英語を習っているということです。私が名前と年齢を教えると、30過ぎという歳を聞いて驚いた彼は少していねいな言葉づかいで「ミスター、ノブ」。「えっ、ミスター? ミスターはいらないよ」と、私は返しました。
ここでブランコから「いろいろ話が聞きたいから、今夜は俺の家に泊まれよ。どう?」と誘いが。「オーケー、そうさせてもらうよ」私には断る理由がありません。
ブランコの家はノビサドに隣接する街 Futog(フォトグ)にあります。近道を行くからと、彼に続いてドナウ川を渡ると、川沿いに10キロちょっと走り、フォトグの街の彼の家へ。
自宅に戻るなり、ブランコが声をかけると若い男女が出てきました。弟のサーシャとブランコのガールフレンドで、英語がペラペラなスーザンです。
サーシャは女性の名前のようですが、スラブ圏では男女どちらにでも付ける名前です。日本では「ひかる」「あきら」「みずほ」といったところでしょうか。
スーザンはスウェーデン在住ですが、両親のどちらかがこの街の出身のようで、いわば里帰りといったところです。スーザンという名前からすると、両親のどちらかがイギリスかアメリカ出身だと思われます。ブランコが英語がうまいのも、彼女の影響もあるようです。
荷物を解くまもなく、近所の子どもたちが遠巻きにながめるなかで記念撮影となりました。