朝、ブランコ兄弟とスーザンに見送られて出発。
「これ、ユーゴスラビアの国旗だよ。裏にノビ・サドから俺の家までの地図を書いといた。チャンスがあったらまた来てくれよ」
「また来れるかな? わからないけど、ありがとう」
ブランコがくれた国旗のステッカーの裏には、確かに彼の家までの地図が道路の名前まで細かく記されていました。
「じゃあ、よい旅を。グッバイ、ノブ」
「ああ、日本に着いたら写真と一緒にお前の欲しい手袋を送ってやるよ」
「本当か? うれしいな、待ってるよ」
「サーシャもスーザンも元気で」
「バイバイ」
フォトグからハンガリー国境へ向かうルートが二つありましたが、どちらもブダペストへは遠回りになります。ノビ・サドの街へ戻り、最短の E5号線をいくことにしました。
当時のセルビアは国内に二つの自治州がありました。一つがコソボ自治州、もう一つがノビ・サドを州都とするボイボディナ自治州です。
ボイボディナは地理的な理由で古くから侵略が繰り返され、そのためか多くの民族が住み着いていました。公用語もセルビア語を始め、ハンガリー語、スロバキア語、パンノニア語、ルーマニア語、クロアチア語と六つもあるのです。少数民族の権利にも手厚く、ブランコの話ではロマ語専用のラジオ放送もあるとのことでした。
ユーゴスラビアでも少々ユニークなボイボディナ自治州は、ユーゴスラビア内戦以前から独立構想もあったようですが、そのつどセルビアが警察権や裁判権の独自拡大を認め現在に至っています。独立した(?)コソボと違い、セルビアとの関係は今も変わらないようです。
<EXIT>フェスティバル
セルビア第二の都市、現在の人口35万人のノビ・サドは、音楽通にはとても有名な街になりました。毎年7月、この地に世界中から若者が集まるミュージック・イベントがあります。
2000年、海外渡航をなかなか認めてもらえない大学生数人が、反対の意思表示のために開いた音楽祭、その名も彼らの想いを込めた出国<EXIT>フェスティバルです。06年には EUのコミッショナーを招き、10年の EU 圏内90日間ビザ免除を始め、大幅なビザ規制緩和につながっていきました。
<EXIT>フェスティバルは、2013年-14年と連続でヨーロッパ・ベスト・フェスティバル賞を受賞し、世界的にも知られるようになりました。近年、日本からも音楽好きな若者が訪れています。