受付でマジャル語の挨拶をちょこっとほめてもらいました。ハンガリーの人たちは自らをマジャルといいます。人口の90%がマジャル人で残りはロマやドイツ人など、公用語はマジャル語になります。
英語の Hungary はオノグル、ウンガーン、ウンガリアなどの古称にHが付いたものらしく、フン族由来説とは異なります。ニホン、ニッポンも英語はジャパンですし、英語名が本来の呼称と異なることはよくあります。
マジャル人
ローマ帝国時代のブダペストには、ケルト人の集落があったとされています。ドナウ川西岸の北部、現在のオーブダ(古いブダの意)地区がその中心でした。
宿の近くにアクインクム遺跡があり、ローマ時代の円形劇場や水道橋の跡が残されています。なにしろ宿のある地区名ローマイフルドからして、マジャル語でローマ風呂という意味ですから、二千年以上前から温泉があったのかもしれません。
4世紀後半に侵入したフン族は、この地の支配をローマ帝国に認めさせることで、国家としての形を整えました。その後、フン族の後裔がいなくなると、支配者は遊牧民族アヴァール、フランク王国へと入れ替わります。
9世紀になって、ウラル地方からマジャル人が移り住み、現在のハンガリーの原形を形成します。13世紀のモンゴル襲来によりオーブダは大打撃を受け、都を南のブダ地区へ移すことになります。
ハンガリーは周辺諸国と連合を結び、15世紀になると強国として再興します。その後、オスマン帝国の侵略を受けて、当時の首都ブダは陥落し、150年間オスマンの支配下に置かれます。ハンガリーは国を分断され、オーストリア帝国とオスマン帝国の争いの最前線となったのです。
「フィンランド人とハンガリー人のルーツはアジアである」といわれていたために、私はハンガリーに何となく親近感を抱いていました。[体はそれほど大きくないけど、ガッシリしてるし、どう見ても白人だよなぁ] これが素直な印象でした。
長い間言語学の分類上、両国ともルーツがアジアとされてきたのです。実際、ハンガリーでは姓名や月日の語順が日本語と同じで、他のヨーロッパの国々と異なっています。
ところが、近年アルコールの反応に対する遺伝子の研究により、フィンランドはほぼ100%白人であることが証明されました。
ただし、ハンガリーはほんの僅かですが、アルコール分解酵素をもたない、いわゆるアジアの遺伝子を持つ人たちがいることもわかりました。これはモンゴルの侵略や多くの他民族流入に伴った交雑の結果とされています。
ハンガリーで、まれに蒙古斑を持つ子が生まれると、確認のため蒙古斑を見たことのない病院スタッフが集められるそうです。いずれにせよ、マジャル人のルーツがアジアでないことは確かなようです。