Gyor(ジェール)の街まで走る予定でした。ジェールからオーストリアとの国境まで60キロ足らず、あすにはオーストリアへ入国、そんなつもりでいました。[あれッ? またハイウェイか、まいったナ。他の道はわかんないし、いいやこのまま走ろう。そのうちハイウェイも終わるだろう]自分勝手な考えでハイウェイに変わった E5号線を走ることにしました。
10キロも走らないうちに、横をサイレンを鳴らさず通り過ぎたハイウェイパトロールのバイクが私の前方をふさいで停止しました。
ハイウェイを自転車で走って捕まるのはアメリカのカリフォルニアでの CHIPs 以来2度目になります。あのときはパトカーからショットガンを手にした警官が降りてきてビビりましたが、今回は拳銃はホルダーに入ったまま、ビビることはありません。
アメリカでハイウェイを走って捕まったのもちょうど1年前の6月10日でした。前の手帳のメモを見て今回わかったのですが、1年後の同じ日にまた捕まったなんて私自身驚きました。1年前のことは 北米大陸9700km[5]:CHIPs現れる をお読みください。
言葉はわかりませんが、前日と同じく「ダメだ、出ろ!!」と言われたようです。「どっち?」両手の人差し指で前と後をさしながら聞いてみました。どうやら「付いてこい」と言っているようです。前方へしばらく走ると脇道から下ろされました。
そこからが大変でした。道は例によって曲がりくねり、その上アップダウンが続き、思いのほか距離が稼げませんでした。そこでやむなくジェールの街の手前で見つけたキャンプ場へ。
そのキャンプ場でフランツというオーストリア人サイクリストと出会いました。その日のメモに「オーストリアの老人(失礼)サイクリストと出会う」とカッコ付きでエクスキューズしています。
尋ねるとフランツ爺さんの年齢は67歳、その時の私の目には老人に見えたのです。このブログを書いている私は67歳。現役の自転車乗りではあるのですが、まわりから老人に見られているとしたらショックです。
「たまに英語に似た単語が出てくる」私のドイツ語の認識はその程度でした。フランツ爺さんのカタコト英語が二人の会話の救いでした。彼はオーストリアに戻る途中のキャンプ、うれしいことにウィーンの自宅へ招待してくれることになりました。ウィーンはオーストリアの東の端に位置しています。キャンプ場からわずか二日の行程ですが久しぶりの並走が楽しみに思えました。
おまけにフランツ爺さんは私と同じく酒好きです。二人でビールだワインだと夜が更けるまで酒盛りになりました。会話の理解は互いに半分ほどだと思いますが、酔うほどに話がはずんで(?)きました。
フランツ爺さんが財布から何やらチケットの半券のようなものを大切そうに取り出しました。ボロボロで今にも破けそうです。
「何? レシート?」私の問いに、フランツ爺さんは立ち上がると腰を前後に激しくピストン運動〈例のアクション〉を繰り返しています(例のアクションはどこでも同じ意味です)。何やら私に向かって言っていますが、互いに酔っていることもあり何を言っているのか、まったくわかりません。ただ、その顔はニコニコ笑っています。[いったいあのボロボロの紙切れは何なんだ。爺さんの言ってることわかんないんだよ]
やがて酒盛りも終わり、互いのテントで寝ることに。寝袋の中でウトウトしかけて[あしたはハンガリーか……]ふと、あのボロボロの紙切れを思い出しました。
[ピストン運動ということはハンガリーにそれ目的で行ったのか? それも自転車で? えーッ、まさかあの年で? さすがにそれはないだろう。それにチケットとかレシートとかそんなもん出さないだろうし、もらわないだろう。あのボロさはひょっとしたら戦時中のもので、今も大事に持ってるのか? 逆算するとフランツ爺さん30歳前か? あり得るか? うーん。わからん]出そうにない答えを考えているうちに、いつのまにか寝てしまいました。