朝一番に向かったのは〈シェーンブルン宮殿〉です。場所はウィーンの郊外、南西部に位置しています。フランツ爺さんの自宅のあるヴァットガッセ(ガッセは独語で通りの意)を南へ道なりに数キロ行ったところになります。
ヴァット(Watt)は英語読みでワット。フランツ爺さんの話ではイギリスの発明家ジェームス・ワット(電球のワットでおなじみ)に由来するとのことでしたが、その理由はわかりませんでした。
シェーンブルン宮殿はフランスのベルサイユ宮殿を手本に建てられたハプスブルグ家の夏の離宮です。一つの丘が丸々宮殿になっているので、かなりの大きさです。
観光客に解放されているのは30-40部屋ですが、全体の部屋数は1,400以上、空き部屋の一部は公務員のための賃貸物件ということでした。この宮殿は「シェーンブルン宮殿と庭園群」として1996年に世界遺産に登録されています。
オーストリア皇帝、ハプスブルグ家は栄華を誇示するかのようにウィーン市内に王宮を含め三つの宮殿を所有していたのです。
オーストリアは日本の北海道ほどの面積に750万人ほど(当時)の人々が暮らす小さな国ですが、その昔は中央ヨーロッパに広大な領土を持つ大国でした。それが外敵による侵略や度重なる敗戦で領土を失っていったのです。
意外と知られていないのが、現在のオーストリアはスイスと同じく永世中立国だということです。もちろん EU には入っていますが、NATOには加盟していません。小さな国となってしまった今、きっと戦争はコリゴリなんでしょう。
市内に戻るとフランツ爺さんが勧めてくれたシュテファンスドムをめざしました。
さすが音楽の都ウィーンです。広い市立公園内には多くの記念像に混じり、椅子にすわったシューベルト像やバイオリンを弾くヨハン・シュトラウス像、そしてブルックナーの胸像が建っています。公園から西へ少し行くとモーツァルト記念館があり、その先に「あっ、アレだ」目印になると言っていた寺院の尖塔が見えてきました。
フランツ爺さんの言うシュテファンスドムとは〈聖シュテファン大聖堂〉のことです。13世紀末に建てられたゴシック教会で、ウィーンのシンボルといわれています。階段で高さ137mの尖塔の途中まで登れば街を一望できるようですが、私は広場で写真を1枚撮ると、そのままプラターへ向かいました。
プラターはウィーンの旧市街の北、ドナウ運河とドナウ川本流にはさまれた場所に広がる緑地帯で、中には遊園地もあり、子どもからおとなまで楽しく遊べる公園になっています。
観光案内には街の中心からプラターまで徒歩で30分ほどとありますが、自転車ですから、さほど時間はかからないはずです。