私はAさんの貴重な話とともにフランツさんの「ボロボロの紙切れ」はやはり公娼のチケットだと確信しました。
三国同盟の枢軸国側としてドイツと日本が同じシステムの公娼制度を実施していても何ら不思議はありません。大戦中、オーストリアはドイツに併合されていましたから同じように考えられます。
フランツさんは何らかの理由でチケットを使わなかったのではないでしょうか。そのチケットを話のネタにしようと思い、大事に財布の奥にしまって置いたのでしょう。
帰国後、私はフランツさんと旅行中の写真を交換をしました。その後も彼が亡くなるまでの10年ほど、クリスマスカードと年賀状のやり取りを続けました。ただ、このやり取りはドイツ語と日本語の一方通行で、おたがい何が書いてあるかはわかりませんでした。
フランツさんからのクリスマスカードを乗馬の写真とともに載せました。彼の筆記文字は達筆に思えるのですが、いかがでしょうか。
最後にウィーンの街角で撮ったスナップ写真を1枚。ブログの内容とは関係ありませんが、好きな写真です。何の像かもわかりません。
次回から、ヨーロッパで一番楽しみにしていたスイスの旅が始まります。スイス国内を反時計回りに一周。
チューリッヒ、ベルン、レマン湖、フランスのシャモニー(モンブラン)、ツェルマット(マッターホルン)、インターラーケン、グリンデルワルドそして再びベルンへと、1ヵ月近くかけて回ります。
地名ををあげただけで素晴らしい景色が目に浮かびます。もちろん、スイスアルプスのハードな峠越えも待っています。
1982年の夏、アメリカのイエローストーン国立公園で出会ったスイス人サイクリスト、ウィルフレッドが「困ったことがあったら、ここで相談しろ」と教えてくれた自転車屋やW君に紹介してもらった友人Mさん(旦那さんがスイス人)宅も訪ねます。
その他にも多くの人との出会いがあり、そういう意味でもスイスは私にとって印象に残る国の一つになっています。引き続きブログをお読みください。