これは帰国後にブルーノから届いた絵ハガキです。彼と私が出会った古都ヴィンタートゥールの街です。
左上のちょっと大きいのがスイスの国章、その他上下に並んでいるのが連邦国家スイス各州の州章です。改めて数えてみると、その数23。長年、当時は24州と思っていましたから、驚きでした。
現在、州は26に増えています。数え方が変わったのか、準州だった地域が格上げされたのだと思います。近年、州の過半数が12から13に変わったのです。
スイスの国としての成立は、近隣の三つの地域が協力してオーストリアのハプスブルグ家に抵抗して戦ったのが始まりだとされています。地域間でいざこざがあったとしても強力な外敵には協力しあったのです。
ちょうどウィリアム・テルの時代になります。その後、周辺の多くの地域が独立した州という形で参加し、連邦国家が形成されていきました。
それぞれの地域でドイツ語、フランス語、イタリア語などが話されていました。中央政府と距離を置き、国との結び付きが弱かったことも地域の連帯を深めたようです。
スイスの公用語別人口は、ドイツ語(75%)、フランス語(20%)、イタリア語(4%)、ラテン語系のロマンシュ語(1%)の四つです。少数派のロマンシュ語を公用語にすると決めたのも国民投票でした。
もう一つ気になることがありました。直接民主主義でありながら、何と女性の参政権が憲法で認められたのは1971年だったのです。それぞれの州の独立性が強く、90年代に入ってようやく女性参政権を認めた州もあります。
GHQの指令があったとはいえ、大戦後すぐに女性参政権を認めた日本と比べ、かなり遅く感じます。
「民主的なスイスに思えるけど、なぜ女性の参政権だけは遅かったの?」
ブルーノはしばらく考えてから、
「うーん……歴史的な背景がいろいろとあるけど、簡単にいうと男性中心の社会が根強く残っていたということかな」
「いまだに女性のなかにも自分たちに参政権は必要ないという人がいるんですよ」
スイスらしいともいえますが、Kさんは違和感を持っているようでした。
国民投票は日本のニュースでもよく取り上げられるので、ご存じの方も多いと思います。国民投票で過半数を得て国連に加入したのが1991年とのこと。EU 加入に関しては複数回投票が行われているはずですが、そのつど否決されています。
私はこの辺にいい意味でのスイスの頑固さを感じます。最近のニュースでは国民皆兵制度の継続が伝えられています。ことしになって、スイス国内にある5基の原発を2050年までに廃炉にすることが国民投票によって決定されています。
ブルーノによると、議会発議と国民発議を合わせると年に数回、他に州法に関わる投票があり、結構大変らしいです。その辺は心得たもので、ある程度の法案をまとめて投票にかけるそうです。
このような背景がある国民イニシアチブによって可決されるのは議案の1割程度とのことです。妙に納得できる数字でした。
「難しい話しはもうやめて飲もうよ。明日は午後からの出勤で構わないんだ」
「そうなんですって。Hさんワインでいいですか?」
「あッ、ハイ。いいです」
「それでノブ、この先どこへ行くつもりなんだ?」
「予定じゃ、シャモニー、ツェルマット、それからグリンデルワルドのつもりなんだけど」
「なるほどね、グッドチョイス!! ツェルマットは登山電車がオススメだね。あとベルンの街も忘れずに、いいところだから」
あとはスイス旅行の話になりました。
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