ニューヨークのSさん宅、チュニジア大使館、そして今回のMさん宅と、日本からの手紙を受けとるのはこれで三回目です。
読んでいくうちに、送り主が身近に感じられる、それが手紙のいいところです。まあ、受け取りたくない手紙もありますが。いずれ、スイス国内のどこかで、友人や仲間に絵ハガキを出すつもりでいました。
ところが、オフクロさんからの手紙だけは絵ハガキというわけにはいきません。手紙に父親の23回忌を控え9月のお彼岸までに日本に帰ってこれないか、と書かれていたからです。
父親の命日は12月です。年忌法要の前倒しは OK ですが、過ぎてしまうのは NG です。母は列席してくれる人たちのためにも寒くなる前にと考えているようでした。
以前ブログに書いたように、上の兄弟は独立していましたが、一番下の私は母と二人暮らしをしていました。それもあり、2年間という約束で自転車旅行に出ていました。
もちろん、その間に訪れる父親の23回忌法要についても話し合っていましたが、私は「たぶんそれまでには帰ってくる」と曖昧な返事をしていたのです。[9月はどう考えても無理だよな。あした、オフクロさんに電話してみるか]
Mさんは義母さんと隔日交代で義父さんの農作業を手伝っていました。この日の彼女は家事担当で在宅、旦那さんの出勤後に事情を話して日本に電話させてもらうことにしました。
MさんについてW君から聞いているのは農業研修生の頃の友人というぐらいです。彼女は若くまだ20代半ば、グロックとの間にお子さんはいません。二人きりなのをいいことに彼との馴れ初めを厚かましくも聞いてみました。
二人が知り合ったのはスイスでの農業研修のようです。Mさんは意識してなかったそうですが、彼女を最初に好きになったのはグロックのほうで、その後日本まで追いかけて来たそうです。そこまでされれば……まぁそういうことです。
スイスと日本の時差は8時間、ただし6月はサマータイム中で時差は7時間となります。日本時間の夜に合わせて昼過ぎに電話をかけることにしました。
「もしもし、オフクロさん。俺、ノブです」
「アッ、ノブか。今どこなの?」
「今? スイスのMさんとこから。手紙読んだよ」
「お父さんの23回忌だけど忘れてないだろね? お彼岸の前後にしたいんだよ」
「それで電話したんだけど、9月には帰れない。無理だよ」
「何で?」
「う~ん。この先、スイスから北欧へ行くつもりなんだ。ほら、手紙に書いたW君、アフリカを一緒に走った。彼とも約束したんだ。ノルウェーに行くって」
「じゃ、一体いつ帰ってくるの?」
「オヤジの命日の12月までには帰るから。悪いけど、それでお寺さんと相談してくれないかな」
「しょうがないねぇー。じゃあ、11月中に帰ってくるんだね」
「ハイ、そうです。兄貴や姉さんにもそう伝えてよ」
「わかった。長話は悪いから切るよ。先々気を付けてね」
「うん、オフクロさんも元気で。また手紙書くから。じゃあ、切ります」
電話での会話はオフクロさんの勢いのほうがまさったようです。どうやら、私の自転車旅行は11月いっぱい、あと5ヵ月とお尻が決まったようです。
法要に合わせて12月までに帰るとなったことで、逆に旅のスケジュールが立てやすくなるような気がしました。