この日は朝からドイツへ向かう準備です。クランクのガタ取り、日本への手紙、荷物の整理と、何やらやることも多く、ノンビリするわけにはいかないようです。自転車の調整だけで半日、すべて終わると、夕方近くになってました。それでも、何とかあしたは出発できそうです。
「Hさん、準備はできたの?」
「終わりました。お陰で、あした出発できそうです」
「ちょっと聞いて欲しいんだけど。あのね、年下の私が言うのは生意気かも知らないけど、出発する前に何か仕事を手伝ったらいいと思うんだけど?」
「えッ!?……」
最初はMさんの言葉の意味がわからず言葉が出ませんでした。
「やっぱり世話になりっぱなしって、おかしいと思うの」
「………」
「何でもいいから、できることで。薪割りだって、庭の掃除だって」
「はい。Mさん言う通りかもしれないですね。全く思いもしませんでした。変な気にさせていたのなら謝ります」
「ううん、そうじゃなくて。夕食の時みんなに話してみたら」
「ええ、そうします」
Mさんの言う通りかもしれません。事実、私はロスアンゼルスのAさん、サンフランシスコのMさん、ニューヨークのSさんと、みなさんの言葉に甘えて世話になりっぱなしでした。何か手伝いの一つでもしても良かったはずです。
「じゃ、Mさん。皆さんに話しますので、通訳してくれますか?」
「グロッグに直接話したら」
「えッ、グロッグに。英語で大丈夫?」
「うん。たぶん英語でも大丈夫だと思うんだけど」
家族の会話はすべてドイツ語、グロッグは英語を話さないものだと思っていました。
「グロッグ、お世話になったお礼に出発前に何か手伝えることがないかな?」
「オーケー、グッドタイミングだ。あしたはみんなで新しい納屋を作るんだ。ことしの夏のうちに仕上げる予定でね」
グロッグが両親に私が納屋作りを手伝うと伝えています。Mさんはきっと新しい納屋を作ることを知っていたはずです。どうやら彼女に一本取られたようです。
話はいつの間にか前夜の続き、旅行の話に移っていました。夫婦でいつ旅行に行くか話しているようです。
「いつ行くか、決まりましたか?」
「近く兵役があるから、グロッグはその後がいいらしいんですけど。私は夏のうちに行きたいと思って」
「兵役ですか?」
「そう、3週間ね」
スイスが国民皆兵だとは知っていましたが、徴兵制のない日本ですから、特に興味があったわけでもありません。ただ、自分の目の前で話題になっているとなると、変わってきます。
詳しく知りたくなった私はグロッグに具体的に聞いてみることにしました。もちろんMさんに協力してもらいました。