本部はイギリスにありますが、ユースホステルの発祥はドイツです。1912年、第一次世界大戦前、ドルトムント近郊の町アルテナにあるアルテナ城を青少年の宿泊施設に利用したのが始まりとされています。
旅行中、International youth hostel handbook という重く分厚い本を携行していました。世界中のユースホステルを掲載しており、都市ごとにホステル名、住所、電話、ベッド数、チェックインタイム、宿泊料金、食事の有無などがわかるようになっています。
ドイツではユースホステルをユーゲントヘルベルゲ(Jugendherberge)といい、アルファベットのJが目印になります。国内の施設数500ヵ所以上、中にはベッド数が400というのもあります。さすが発祥国、スケールも最大級です。まあ、どんな町にもユースホステルがあるといった感じです。
ただし、私は西ドイツではほとんどユースホステルを利用しませんでした。理由は最初に泊まったラレハのホステルで飲酒に関する決まりを知ったからです。
スペインなどいい意味で門限や飲酒におおらかな国とは違い、西ドイツのユースホステルにはしっかりしたルールがあります。もともと青少年育成のための施設ですから、当然なのかもしれません。
そういう訳で以後の西ドイツ旅行は、おのずと酒飲みたさにキャンプ場や野宿になりました。
ラレハからはライン川沿いをフランクフルトまで北上、そしてブルックヘッドの家を目指すことになります。ライン川の対岸はフランス、この先ライン川の200キロほどが国境になります。
[へぇー、こんな大きな流れが凍りついたのか。想像つかないな]私は歴史の授業で習った「ゲルマン民族大移動」を思い出していました。
4世紀後半、西進してきたフン族に押し出される形で新しい耕作地を求めてゲルマン民族の移動が始まったといわれています。その移動の原因の一つがライン川の凍結といわれています。凍った川を渡り、ガリア地域に侵入し、その後現在のフランスからイベリア半島へ、そしてイギリス・ブリテン島や一部は遠く北アフリカまで移動をしていったのです。
ガリア地域の居住者ガリア人はフランス人の祖先といわれています。日本の学校では〈大移動〉と習いますが、フランスでは〈大侵入〉と聞きました。今でこそドイツとフランスが EU をリードしていますが、昔からあまり仲が良くなかったのはこの辺にも原因があるかもしれません。
西ドイツ2日目、この日は多くの人が水遊びを楽しんでいる小さな湖のそばのキャンプ場へ。1泊約790円。
夕食の支度を始めると、通りかかった5才ぐらいの女の子が四つ葉のクローバーをくれました。この子がいろいろと話しかけてくるのですが、サッパリわかりません。
そこで、絵を描きながらの筆談に移ったのですが、やはり限界があります。理解できたのは半分程度でした。別れ際にクローバーのお礼にと5円玉を渡すとニッコリ、日本のお金だとわかってくれたでしょうか。