そんななか、観光客の間で流行していたのが東ベルリンへのツアーでした。東ドイツの首都、東ベルリン市内限定ツアーです。
ハンブルクやケルンからノンストップ列車で西ベルリンに入り、東ベルリン側の国境でビザ申請料5DMと1日分の強制両替25DMを支払い、東ベルリン市内を観光するものです。
ツアー内容は、ベルリンの壁やブランデンブルグ門を見て回るもので1日あれば十分でした。それでも足りなければ、複数日分の強制両替を済ませて市内観光を続けます。もちろん、宿泊先のホテルはキチンと決めておかなくてはなりません。
外貨が欲しかった東ドイツにしてみれば「ベルリンは監視が行き届いているから観光してもいいですよ。その代わりちゃんとお金を払ってくださいね」という感じでしょうか。
当時、西ベルリンまでの鉄路とアウトバーンはともに三本ずつあるとブルックヘッドから聞きました。アウトバーンを利用する車は東ドイツ側の国境で所定の手続きをし、通過ビザ(1日か2日)をもらいます。途中でアウトバーンを降りたり寄り道をすることはできません。
地図上の一般道は、国境の部分だけ白ヌキになっています。後述になりますが、これはブルックヘッドが言うようにフェンスによる分断を表しているようです。数ヶ所だけ白ヌキではなく税関のマークになっています。ただし、そこが国境の税関として機能していたかはわかりません。国境から西ベルリンまでは短いところでも200キロ弱、たとえ通過ビザがもらえても自転車で行くとなるとかなりのハードワークになったはずです。
こんな状況ですから東ドイツは自転車旅行には向かない国だったのです。
