コペンハーゲンには夕方近くに到着。途中パンクもありましたが、朝8時前に出発したこともあり、予定どおりの到着となりました。
まずは中央駅広場の観光案内所で諸々ピックアップ。嬉しいことに無料の日本語版市内観光マップが置いてありました。
私の利用していた地図には市内にユースホステルとキャンプ場がそれぞれ2ヵ所ずつ載っています。ユースホステルの宿泊料は前に聞いて、素泊まりで約1,200~1,300円と知っていました。そこで観光案内所で確認のために聞いてみました。
「あのー、キャンプ場の方がユースホステルより安いですよね?」
「はいッ」
コペンハーゲンの観光は翌日からということで、日がくれる前に早速キャンプ場へ。と言ってもデンマークの8月は昼間は16時間近くあります。夜というか、午後9時頃まで明るく、慌てる必要はありません。
キャンプ場1泊25Dkr=約625円、3泊お願いしました。例によって観光はバッグを外した自転車で、いつものようにお手製の昼飯用サンドイッチも用意しました。
観光初日のお目当てはデンマーク王室の居城「アマリエンボー宮殿(Amalienborg Slot)」の衛兵交代と、有名な「人魚像(Den Lille Havfrue)」です。衛兵交代は正午からなので、それまでコペンハーゲンの街をブラブラすることにしました。
中央駅裏手の一角にポルノショップが並んでいます。[おおッ、あるね。ちよっとひやかしてみるか]何軒かのお店を覗いて[へぇー、そうか]変に納得してから市内観光に出ました。
駅前を進み「チボリ公園(Tivoli)」を横目にさらに行くと、市庁舎広場に出ます。広場から続く通りはコペンハーゲンで一番賑わうショッピングストリート「ストロイエ(Strøget)」です。
ストロイエは歩行者天国になっており、デパートや有名ブランド、食器で有名なロイヤル・コペンハーゲンをなど様々なお店が並んでいます。
1キロ以上続くストロイエの突き当たりが「コンゲンス・ニュートー広場(Kongens Nytorv)」、王様の新しい広場という意味だそうです。芝生が広がる広場の中央には何やら騎馬像が立っています。その広場の先を自転車を押して5分ほど歩くと、お目当てのアマリエンボー宮殿に出ます。
広場を囲むように4つの宮殿が建っています。建築されたのは1750年、それまでの宮殿の火事により1794年にこちらへ移り住んで以来、現在もデンマーク王室の居城となっています。
写真は正午から始まった衛兵交代の様子です。宮殿を取り囲むように多くの観光客が見物しています。「黒い大きな帽子は熊の毛皮だよ」と隣の観光客が教えてくれました。急に「頭ん中がアツいんじゃないの」と気になり始めました。手前は観光客の整理に当たる警官です。
衛兵交代を見届けると、宮殿裏手から内港沿いを北へ、人魚像へと向かいました。
こちらが人魚像です。内港から外港へと繋がるあたり、岸から目の前にあります。設置されたのは1912年とありますから、結構古いんです。これまた多くの観光客が集まっています。
この人魚像、首を取られたと日本でもニュースになっていました。私の帰国後も何故かペンキを浴びせられたり、首や腕をもがれたり、果ては台座を爆破されたりと何かと受難続きでした。
[何だぁ、随分ちっちゃいんだ]童話では人魚姫は15才の少女の設定です。成人ほど大きくなくてもいいのですが、人魚像は思いのほか小さく、小学校低学年の女児ぐらいの大きさでした。
急に思い出し、写真を1枚追加しました。帰国後、1989年に日本を一周した時に撮った写真です。三重県伊勢市の二見ヶ浦の夫婦岩、日の出スポットとして知られています。この写真もよく見るアングルです。左の男岩の上に鳥居がありますが、この鳥居もすごく小さかったんです。
つまり、夫婦岩自体が「えッ、ちっちゃ?!」なんです(関係者の皆さんゴメンナサイ。あくまで私の印象です)。写真は真実を伝えますが、意に反して違う驚きももたらします。想像もしなかった人魚像や鳥居の大きさ、写真から受ける印象と実際とのギャップって結構あるんです。
70歳近い老人が30歳代の初めに体験した北米・ヨーロッパ・北アフリカへの自転車旅行を振り返って追体験する。手がかりは旅行中のメモ帳や残された手紙と写真、それらが思い出させてくれる記憶だけだといいます。よくもここまで復元できるなあ、ただ感心するばかりです。
LikeLike