日本を発つ前に旅費を全てドル建てのトラベラーズ・チェックに替えていました。当時は今ほどカードが普及していませんし、トラベラーズ・チェックは現金より安全ですから多くの旅行者が利用していました。
「トラベラーズ・チェックは細かく分けた方がいいよ」とのアドバイス通り10、20、50、100ドルと4種に分けて携行していました。この頃すでに10ドルと20ドルのチェックは使いきっており、残っているのは50ドルと100ドルのチェックだけでした。
私がチェックの他にドルの現金を持つようになったのには理由がありました。それは北アフリカでの二つの経験によるものです。
一つはモロッコでの闇の両替です。
「チェンジ・マネー」「チェンジ・マネー」と、セウタの街での辺りをはばからぬ大声にはビックリしました。それはアルジェリアとの国境の街ウジダでも同じでした。
「両替って、どれくらい?」答えは通常レートの3倍ほど、交渉次第でその場で即決します。[現金があればなぁ]誰もがそう思います。
もう一つはチュニジアの国境でのトラブルです。当時、一緒に自転車旅をしていたW君のパスポートが破られているのが発覚し、彼と私も国境に軟禁されることになりました。
強制両替のアルジェリアディナールは再両替できませんから出国前に全て使いきり国境に着いたときには無一文。二人の食料といえばオレンジのみ、解放されるメドもたたない中、税関の係官に頼み込んで国境から6キロ離れた町まで私が食料の買い出しに行けることになりました。
時刻は夕暮れ、両替したくても町に二つある銀行はすでに閉まっていました。幸いなことに近くに観光スポットがあり、そのため小さな町には不釣り合いな立派なホテルがあったのです。
そこで、そのホテルのフロントでトラベラーズ・チェックでの両替を頼むことにしたのですが係りは「あしたの朝8時だ」の一点張り。それでも私のしつこい「プリーズ、コール、ポリス」の連呼にしぶしぶ両替に応じてくれたのでした。この時も[現金があればなぁ]と思ったのです。
国境での軟禁は丸々一日、翌日の昼過ぎまで続きました。その間、税関事務所で仕入れた食料で自炊しながら、夜は床に横になり一晩過ごすことになったのです。結局、国境でW君の身元照会はできず、とりあえず首都チュニスの公安局へ出向くことで入国を許可されたのです。詳しくは、このブログの Tunisia(2) をご覧ください。
北アフリカでのこの二つの経験で現金ならではの強みを知ったのです。そこでさっそく、イタリアのローマでトラベラーズ・チェックの500ドル分を現金化して20ドルと50ドル紙幣で持つことにしました。もちろん現金を持ち歩くリスクがありますから、4つの振り分けバッグに分けて持つことにしたのです。
先々ブルガリア、ユーゴスラビア、ハンガリーと社会主義の国を訪れるつもりでいましたから、外貨特に米ドルを持っていれば何かとプラスだろうとも思いました。
1Skr(スウェーデン・クローネ)=約30円。