これが受付でもらった日本語版の見取り図です。解説書の順路の番号通りに、①は第二次世界大戦の資料室、②は本棚裏の隠れ家への入口、④はアンネの部屋、⑧はアンネと日記に関する資料室となっています。
こちらはアンネの部屋です。ご覧のようにドアから2、3歩で壁にぶつかるほどの小さな部屋です。この写真も壁をピッタリ背にして撮っています。右側の壁に貼られたスターのピンナップ写真は当時のままだそうです。
この写真は中庭に面した窓から見える「西教会」の上部分です。西教会については「アンネの日記」にも何度か出てきます。この教会は歴史あるプロテスタントの教会で、金色の王冠は神聖ローマ帝国の皇帝から贈られたものです。2006年に塗り替えられ今では水色の王冠になっています。この教会の共同墓地に画家レンブラントが埋葬されていることでも知られています。
ダム広場へ戻る途中、運河にズラリと並んで浮かぶ水上生活用のボートを見つけました。ハウスボートと呼ばれる住居です。これがその写真です。
産業革命後、農業国だったオランダでも工業が盛んになりアムステルダムに多くの人が集中しました。30年間で人口が倍になったといわれています。それでなくても限られたスペースのアムステルダムの街、住む所のない人々は貨物用ボートを運河に浮かべて住むようになったのです。
当初はそのまま船室や貨物室で生活していましたが、やがて操舵室を取り外して船上に住居部分を乗せるようになります。この写真の多くはそんなハウスボートだと思います。それが今では護岸から伸びた支柱に支えられた土台の上にハウスボートが建つまでになっています。
写真の右端の白い箱形のハウスボートがそのハシリだと思います。自ら移動できませんから移動用のボートが繋がれています。
ハウスボートは維持費を除くとサイズに合わせた住居税と運河の利用費と比較的安上がりでした。ところがあまりにも増えすぎたため今では市から係留の許可が下りず、新しくハウスボートを持つこと自体ステイタスになりつつあるようです。