日が落ちると晩飯を軽くすませ、夜の観光目玉「飾り窓」へと向かいました。場所はすでに把握ずみです。
いかにもといった怪しい灯りの色、入り組んだ路地は迷路のようで妙に冒険心をくすぐります。同じ「飾り窓」でもハンブルクに比べるとかなり活気があります。今宵の相手探しの男性の他に多くの観光客らしき連中が行き来しているからでしょう。
派手な化粧の娼婦が小首をかしげニッコリしながら「オ××コ」と声をかけてきます。[へぇー、日本人はどこにでも出没してるね。きっといいお客なんだろな]
うろつくこと数分。角を曲がると突然、こちらを向いて立つ東南アジア系の娼婦が目に飛び込んできました。小柄なせいか若く見えます。窓越しにも目のパッチリとした可愛い娘だとわかります。
「こんばんは」と私が声をかけた、その時でした。近くで「おーい! こっちだ、こっちだ」と、仲間を呼ぶ声が聞こえてきました。
[日本の団体さんかよ?!]戸惑う私の「ごめん、またね」に、彼女も「またね」と返してきました。[出直すか]急に気分をそがれた私はそのまま歩いてユースホステルへ戻りました。
この日はこれといったアテもなくアムステルダムの街をブラブラしていました。「靴も買いたいし… 床屋にも行きたいし… そろそろ餞別のお返しの土産を買わなきゃ…」そんな感じです。
この写真はアムステルダム運河に架かる「マヘレの跳ね橋」です。マヘレとは「細い、痩せた」の意味です。橋が架けられたのは17世紀、当時はその名の通り「細く痩せた橋」だったそうです。
現在の橋は20世紀になってから改修されたものです。この頃は高さのある船の通過時には橋の開閉を手動で行っていましたが今では電動に変わっています。この写真はちょうど橋の下を遊覧船が通過して行くところです。
これは「ベギン会修道院(Begijnhof)」の中庭で撮った写真です。この教会はダム広場からのびるカルファー(Kalver)通りを南へ500mほど行き、そこから1、2ブロック入った所にあります。
ベギン修道会は14世紀に設立された女性専用の修道会でベルギーやオランダを活動拠点としています。結婚による脱会も認められていて自立するための女性のコミュニティーといった意味合いが強かったそうです。
写真の右が教会、中庭を囲む家々で修道女たちが暮らしていました。1971年に最後の修道尼が亡くなりましたが、その後も女性専用のコミュニティーとして残りました。
なぜこの修道院に行ったのか思い出せません。改めて観光案内を見ると「アムステルダムの喧騒を忘れさせてくれる場所」とありました。おそらく賑やかなアムステルダムに圧倒され、静かな所に行きたかったのでしょう。プライベート重視のためでしょうか今ではここでの撮影は禁止されています。