アムステルダムに3泊した後、風車群で有名なキンデルダイクへと向かいました。途中 Den Haag(デン・ハーグ)と Rotterdam(ロッテルダム)に寄るつもりです。
アムステルダム郊外から水路に沿って南西に真っ直ぐ延びる一本道が地図上にあります。その道を行くことにしました。この辺りは干拓地で、もともと湖だったそうです。
干拓地の中心 Hoofddorp(ホーフトドルプ)の街を通過。さらに直線道は続き、距離は18キロまで延びました。
アムステルダムから60キロほどデン・ハーグに到着しました。一般的に地名はデン・ハーグですが、正式名は ‘s-Gravenhage(スフラーフェンハーヘ)といいます。地図にも大きく記されており、小さく略称の Den Haag が併記されています。
もともとベルギーがオランダから独立するまでデン・ハーグが首都でした。アムステルダムへ首都が移った後も議事堂を始め官庁や大使館などがそのまま残り、現在もオランダの行政の中心となっています。また、昔から多くの国際機関があり、第一次世界大戦後に置かれた国際司法裁判所は今も引き継がれています。
日本では日本赤軍によるフランス大使館の人質・占拠「ハーグ事件」の起こった街として知られています。私も20代の頃の事件として覚えています。
また、デン・ハーグには1980年に即位したベアトリックス女王の住まい「Huis ten Bosch(ハウステンボス)宮殿」があります。
日本で「ハウステンボス」といえば長崎のテーマパークです。女王は忠実に宮殿を再現することを条件にテーマパークに名称の使用を許可しています。
デン・ハーグで泊まってもいいと思っていましたが、時刻はまだ3時です。そのまま20数キロ先のロッテルダムまで走ることにしました。
ヨーロッパで一番の港町、ロッテルダムは大戦中ドイツ軍の爆撃により街の多くが破壊されました。そのためか街並みはデン・ハーグと対照的に近代的に映りました。市内のユースホステルに2泊することに。
オランダの旅もソロソロ終わり、私にはロッテルダムで一つやりたいことがありました。それは餞別のお礼のお土産の購入です。年内に帰国と決まってから、その土産を何にしようかと走りながら考えていました。いつの頃からかオランダの「木靴」にしようと思うようになっていました。
木靴は何百もの間オランダで使用されていました。軟弱な土地柄、湿気を通さず、しかも冬暖かい木靴は環境や風土に適した履き物です。私にはテレビで見た民族衣装をまとい木靴を履いたオランダ人の姿が強く印象に残っていたようです。