アントワープから南へ約50キロ、ブリュッセルへ到着。[あれッ、もう言葉が違うな]オランダ語圏にありながら市民の多くはフランス語を話していました。ベルギーには南北に別れて言語の境目があると聞いていました。その境界線はもう少し南のはずでが、どうやらブリュッセルは特別のようです。
当時からベルギーは中世のたたずまいを強く残す国として知られていました。もちろんビールやチョコレート、ブリュッセルの小便小僧なども有名です。
ヨーロッパの中央という土地柄 EC(現在の EU)と NATO の本部が置かれ、九州よりも小さい国でありながら十分に存在感がありました。
一方、国内では北部オランダ語圏のフラマンと南部フランス語圏のワロンとの間で「言語戦争」と呼ばれる対立が長く続いていました。
古くからこの辺りはフランス語とオランダ語を話す人たちの生活圏でした。ベルギーがオランダから独立した後も様々な場面で両者の主導権争いという負の遺産という形で残ってしまったのです。
ブリュッセルから東へ100キロも行けば西ドイツとの国境です。国境付近にごく少数ですがドイツ語を話す人たちが生活しています。そこでドイツ語も公用語の一つとして、国は地域別に三つの公用語を設けました。多言語国家をアピールすることでフラマンとワロンのいさかいを少しでも避けたい思惑があったようです。それは当時のベルギー国王がスピーチをオランダ語とフランス語の両方で行っていたことにも表れています。
ブリュッセルではフランス語が多く話されていましたが、首都ということもあり公用語は二つと決められていました。結果、あらゆる場所でフランス語とオランダ語が併記されました。多言語併記はスイスの首都ベルンと同じですが、その意味合いは少し違うようです。
何年か前にアントワープで開催されたミス・コンでグランプリに輝いた女性が、まるでオランダ語がわからず騒ぎになったとニュースになっていました。いまだに言葉の問題は根深いものがあるようです。
これは、当時使用していたベルギーの地図です。首都ブリュッセルは BRUSSEL と BRUXELLES が同じ大きさで黄色く併記されています。前回も記しましたが、アントワープはオランダ語の ANTWERPEN にフランス語の呼び名 ANVERS がカッコ付きで小さく併記してあります。オランダ語とフランス語の二つの呼び名がある地名はこのような形で併記されているのです。これが南へ行くと逆にオランダ語の呼び名がカッコ付きで小さく併記されるようになります。