前日野宿した森からブルージュまで30キロほど、昼前にブルージュに到着しました。
ずっとブルージュと記してきましたが場所はオランダ語圏、地元では Brugge(ブルッヘ)といいます。地名の由来は街に橋(オランダ語で Brug=ブルッヒ)が多いことによります。英語の Bridge(ブリッジ)に通じているのかもしれません。
急に気になったので世界地図帳を引っ張り出してきました。昭和58年(1983年)、昭文社発行(定価3,500円)です。私が帰国後すぐに購入した当時の最新版です。
地図帳にはブルージュの都市名はカタカナでブルッヘと表記されており、ブルージュの文字はありません。もう一つ、アントワープはフランス語のアンヴェールを英語読みしたのかアンベルスと表記があります。その下にアントワープとカッコ付きであります。地元でいうアントウェルペンの表記はありませんでした。
オランダ語とフランス語の二つの呼び名、それに加えて英語の呼び名と地図の老舗のもベルギーの地名に関しては苦慮していたようです。
ブルージュはベルギーで最も古い街の一つです。北海まで10数キロの運河が完成したことで、13世紀から14世紀にかけて街は貿易港として隆盛を極めました。
ところが15世紀になると北海からの土砂が徐々に運河に堆積し、大型船の航行ができなくなってしまいました。港としての機能を失ったブルージュはやがて華やかな舞台から忘れ去られて行ったのです。
19世紀半ば過ぎ、再び運河が整備されたのと同じくして街は小説などを始め様々な形で紹介され、注目を集めるようになりました。中世期そのままに忘れ去られたブルージュの街が再び脚光を浴びたのです。
ブルージュは昔のままの街並みを残す街とともに運河と石畳の街として紹介されています。街に歴史的建造物が多いことから「屋根のない美術館」、「天井のない美術館」などと呼ばれています。
運河を渡って街の中心、旧市街に入りました。やたら運河が目立ちます。四方、八方に運河が伸びているのです。その中の一本がまっすぐ北海の港町 Zeebrugge(ゼーブルッヘ)へと繋がっています。この運河こそがブルージュの街に繁栄をもたらしたのです。
時おり運河を行く遊覧船を目にしました。規模こそ違いますがアムステルダムを思い出させてくれます。
ブルージュの旧市街は「ブルッヘ歴史地区」として2000年に世界遺産に指定されています。